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原爆症認定集団訴訟 長崎地裁判決骨子および判決要旨

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判決骨子(2008年6月23日、長崎地方裁判所)

1 DS86及びDS02における初期放射線の評価に潜むかもしれない問題点が、本件訴訟における原告らの初期放射線の被曝線量を考える上で有意な影響を与える可能性は低いと考えられる。しかし、被爆者の急性症状に関する各種の調査の結果等によれば、いわゆる遠距離被爆者や入市被爆者にも原爆による放射線の影響で急性症状が発現していたと考えられる。したがって、DS86による残留放射線の評価、内部被曝の評価をそのまま受け入れることはできず、残留放射線による被曝や内部被曝を十分に考慮しない審査の方針は、放射線起因性の審査の基準としては不適切である。他方、放影研の調査結果は、その問題点を考慮しても、原爆放射線の人体影響を考察する上で重要で示唆に富む成果を提示している。

2 以上によれば、被爆者の疾病の放射線起因性の有無に関しては、DS86により推定されている初期放射線量や放影研の調査結果も考慮しながら、被爆地点及び被爆状況、被爆後の被爆者の行動、放射線急性症状と類似する症状の有無や程度、既往歴、近辺にいた家族などの状況、生活歴、当該認定申請疾病の内容や発症の経過等を総合的に考慮した上、当該疾病の発症、増悪、治癒の遷延に放射線が関与したか否かを判断すべきである。
 これらの事情を個別の被爆者(原告又はその被相続人)に関して検討した結果、処分の取消しを求めた27名の被爆者のうち、20名の被爆者についてはその申請疾病に原爆放射線起因性及び要医療性が認められると判断した。

3 本件処分は、国家賠償法上も違法という評価もあり得るが、原爆症認定の審査をするに当たり審査の方針を用いたことに落ち度があるとはいえず、処分に至るまでに長期間にわたる遅延や被告の解怠事情があったともいえず、処分理由の記載として不備であるともいえない。したがって、原告らの損害賠償請求を認めることはできない。上通常尽くすべき注意義務を尽くさなかったとまではいえないので、1審原告らの1審被告国に対する国家賠償請求は理由がなく、その控訴も理由がない。

判決要旨(2008年6月23日、長崎地方裁判所)

1

 被爆者の急性症状に関する各種の調査の結果及び被爆直後の被爆地における医師らの観察では、おおむね爆心から2キロメートルを超える距離で被爆した者、原爆投下以後に被爆地付近に入ったいわゆる入市被爆者に放射線急性症状と考えてもおかしくはない症状が発現したことが報告されている。これらの報告及び調査結果は、いわゆる遠距離被爆者や入市被爆者にも原爆による放射線の影響で急性症状が発現していたことを示すものである。

2

 他方、DS86及びDS02における(残留放射線も含めた)被曝線量の推定によると、いわゆる遠距離被爆者や入市被爆者は、放射線急性症状を発症するほどの原爆放射線を浴びたとはいえないことになる。このようなDS86等による放射線量の推定の正確性については、以下のように判断した。

(1)初期放射線の評価について

 DS02においては、測定の方法等の改善が行われ、DS86と比較すれば計算値と測定値の不一致の問題はかなり改善され、爆心から1200メートルまでの距離における計算値と実測値との不一致の問題はほぼ解消されたと評価される。それより遠距離については、広島におけるガンマ線の測定値、広島におけるコバルト60の測定値と計算値の不一致の問題が解消されたとまでは評価できないが、測定限界の問題もあって、DS86やDS02の初期放射線の計算値に大きな誤りがあるとは考えにくい。しかも、長崎におけるガンマ線の実測値は計算値よりわずかに小さな値となっており、また、長崎における爆心から2000メートルの距離における中性子カーマは、わずか0.00002グレイ(DS86)ないし0.0005グレイ(DS02)であって、仮に線量評価システムの中性子に関する計算値に誤差があったとしても、これが人体に影響を与えるほどの量になるとは考え難い。したがって、DS86及びDS02における初期放射線の評価が完全なものではないとしても、そこに潜むかもしれない問題点が、本件訴訟における原告の初期放射線の被曝線量を考える上で有意な影響を与える可能性は低いものと考えられる。

(2)残留放射線からの被曝の評価について

 DS86における残留放射能による被曝線量の推定には、初期放射線のそれとは異なり、なお、検討すべき問題ないし未解明の問題が残されているように考えられる。また、被爆者が放射性降下物などによって内部被曝を被り、これによって健康被害を受け、あるいは受けている可能性があることも否定することはできない。もっとも、DS86による残留放射能による被曝線量の推定は、最大の被曝があった地点における爆発後1時間から無限時間までとどまり続けたという仮定の下に行われているものである。したがって、その推定被曝線量に大きな誤差があったとしても、残留放射能による実際の線量が、直ちに個々の被爆者の健康に有意な被害をもたらす程度の線量に至る可能性が高かったとはいいにくいかのようである。しかし、被爆直後の急性症状に関する調査結果や、現場で過ごした医学者たちの観察結果は、むしろ被爆者が残留放射線に被曝し、内部被曝を被った結果その健康や生命に大きな影響や危険を受けたことを物語っているように考えられるのであって、DS86による残留放射線の評価、内部被曝の評価をそのまま受け入れることはできない。

3 放影研の研究への評価

(1) 放影研の死亡率調査及び成人健康調査は、被爆の影響を統計的な処理によって明らかにするべく、同一の人口集団について長年月にわたって死亡調査及び健康診断を行い、被爆者の死因及び健康状態を追求した調査として、ほとんど唯一の、また精緻で大規模な調査であり、被爆の健康影響に関する極めて貴重な調査であることは疑いがない。そして、長年にわたるねばり強い追跡の結果、原爆による放射線被曝が半世紀を超えて被爆者の身体及び健康に与えた影響をとらえ始めており、調査によって明らかにされた被爆による健康被害の状況も極めて深刻なものである。

(2) 放影研の研究については、その調査の方法、内容及びその結果について一定の批判がされている。特に、放影研は、寿命調査集団の被爆影響の統計的な検定に当たって、遠距離被爆者と非被爆者とを一括して、対照群として扱っている場合が多い。しかし、DS86による残留放射線による被曝や内部被曝の評価にはかなりの問題が含まれている可能性があり、早期入市者や遠距離被爆者は原爆放射線の影響を受けている高度の蓋然性がある。また、低線量被曝の問題も等閑視できないものである。したがって、上記のような遠距離被爆者及び非被爆者とを一括して対照群とする取扱いには少なからぬ疑義がある。また、寿命調査対象集団が調査開始の昭和25(1950)年に生存していた者に限られたことが、放影研による寿命調査や成人健康調査に一定のバイアスをかけた可能性もある。
 このように、放影研の調査結果については、なお、検討すべき問題が残されていることは否定できない。しかし、このような問題については、ある意味では放影研の寿命調査や成人健康調査がされるようになった時期や条件からは、避けられない制約であった可能性もあり、また、このような問題を克服できた場合に、解析結果がどの方向でどの程度異なることとなるのかは、明らかではない。放影研の調査結果についてこれまでみたところからすると、その価値は、以上のような問題点を考慮しても、原爆放射線の人体影響を考察する上で、なお、重要で示唆に富む成果を提示しているものというべきである。

4 審査の方針及び原因確率論に関する評価

  審査の方針では、放影研による疫学調査の結果を基にDS86による被曝線量の推定から被爆距離や発症した疾病ごとにいわゆる原因確率を算定した上、当該申請者の既往歴、環境因子、生活歴等も総合的に勘案して原爆症認定の可否を判断するものとされている。しかし、原因確率以外の要素が実際に、どのようにどの程度で考慮されているのかは明らかではない。特に、医療分科会では、DS86による推定被曝線量がごく低線量であったり、ゼロ線量である被爆者については、それだけで起因性なしとの判断がされ、その他の事情は全く考慮の余地がないとする扱いがされているものと考えられる。そして、審査の方針では、DS86に基づいて、残量放射線について、長崎の西山又は木場地区(広島では己斐又は高須地区)に滞在し、ないし長期に居住していた場合にのみわずかばかりの線量を考慮するにすぎず、他の地区における残留放射線の影響や内部被曝の影響は全く考慮しない扱いとされている。しかし、残留放射線による被曝や内部被曝は、被爆者に対してDS86による推定を超えた被曝をもたらしている蓋然性が高い。したがって、このような審査の方針による扱いは、放射線起因性の審査の基準としては不適切である。
 また、原因確率は、寄与リスクに準拠して求められており、寄与リスクは、結局のところ、被曝群と対照群の発生数の多少をパーセント標記したにすぎないものである。そして、これによって発生数の割合が少ないと算定される場合には何故放射線が症状の発症に寄与していないといえるのか、その根拠が明らかにされているとはいい難い。

5 起因性の判断について

 以上述べたようなDS86、審査の方針(原因確率)の問題点に鑑みると、被爆者の疾病の放射線起因性の有無に関しては、DS86により推定されている初期放射線量や放影研の調査結果も考慮しながら、被爆地点及び被爆状況、被爆後の被爆者の行動、放射線急性症状と類似する症状の有無や程度、既往歴、近辺にいた家族などの状況、生活歴、当該認定申請疾病の内容や発症の経過等を総合的に考慮した上、当該疾病の発症、増悪、治癒の遷延に放射線が関与したか否かを判断すべきである。この場合、当該疾病の発症、増悪、治癒の遷延が放射線以外の原因に基づくことが明らかな場合でも、放射線もその発症や促進に影響を与えていることが合理的に推認できる場合には、放射線起因性を肯定すべきであり、当該疾病の発症、憎悪、治癒の遷延に放射線が関与していることに否定的な知見がある揚合でも、その疾病を含む上位グループの疾病について放射線の関与を肯定する知見がある揚合には、前記の問題点をも考慮して、当該疾病と上位グループの疾病とで区別すべき合理的有無の理由があるか否かを慎重に検討し、上位グループの疾病と同様に判断できる場合には、放射線起因性を肯定すべきものと解される。

6 個別の原告の申請疾病の放射線起因性と各処分について

 当裁判所は、以上のような事情を個別の原告に関して認定、考慮した結果、7名の原告ら(死亡による承継がある場合は、承継前の原告を意味する。以下同じ。)にについては、推定される被曝線量が小さいため申請疾病が放射線に起因するものとは考えられないか、続発性甲状腺機能低下症、成人T細胞白血病等のように放射線以外に原因のあることがはっきりしていて、現在の知見ではその発症、進行、増悪等病状の推移と放射線との関連が示されていない疾病が申請疾病とされていることから、これらの処分は正当なものであり、当該原告らの請求は棄却すべきものと判断した。その他の20名の原告らについては、その申請疾病に原爆放射線起因性及び要医療性が認められ、当該原告らに対する原爆症認定申請却下処分は取り消されるべきものと判断した。なお、原告らの申請疾病において最も多く問題とされた慢性肝炎、肝障害等にっいては、放射線起因性が認められると判断している。

7 損害賠償請求について

(1)審査の方針を用いて各処分を行ったことについて
ア 審査の方針は、原爆症の審査基準としては不合理なものであり、これを用いて原爆症認定の審査をすることは、当該申請者との関係では国家賠償法上も違法という評価もあり得る。
イ しかし、審査の方針が基礎を置いているDS86及び放影研の疫学調査の結果は、その評価の対象ごとに多少なりとも問題が認められるが、いずれも当時において使用可能な資料やそれまでにされた解析結果等を可能な限り集め、最新の科学の観点から評価し、あるいは膨大で長年にわたる貴重な調査を積み重ねたものである。そして、原因確率もその理論的な裏付けには批判の余地があるとしても、一定の合理性のある理論によってこのような科学的な知見をまとめたものであるから、原爆症認定の審査をするに当たり、原因確率(審査の方針)を用いたことに落ち度があるとはいえない。

(2)審査の遅れについて
 審査の遅延が国家賠償法上違法であるというためには、標準的な期間内、あるいは当該事案の具体的な内容から客観的に処分のために手続上必要と考えられる期間内に処分できなかったことだけでは足りず、その期間に比してさらに長期聞にわたり遅延が続き、かつ、その間、処分庁として通常期待される努力によってより早期に処分ができたのに、その努力を尽くさなかったという事情が認められる必要がある。しかし、本件では、そのような長期間にわたる遅延や被告厚生労働大臣の懈怠事情は認められない。

(3)理由の不提示について
 各原告らに対して通知された却下処分の理由によれば、処分に係る根拠条文と処分理由を概括的に明示し、放射線起因性を否定したものかあるいは要医療性を否定したのかは判明し、放射線起因性を否定した理由が原因確率が低いことにあることは判明するから、処分理由の記載として不備であるとはいえない。

(4) 以上のとおりであるから、原告らの損害賠償請求を認めることはできない。