原爆症認定集団訴訟 高松訴訟判決要旨 2010年3月29日
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1 事案の概要
原告(当時10歳)は、昭和20年8月9日長崎市に原爆が投下された後まもなく同市に入市した被爆者であるとして、厚生労働大臣に対し、肝腫瘍について、原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(以下「被爆者援護法」という。)11条1項に基づく原爆症認定の申請をしたところ、平成15年5月6日付けで却下処分(以下「本件処分」という。)を受けた。
本件は、原告において、その取消しを求めるとともに、同処分を違法として国賠法1条1項により慰謝料200万円、弁護士費用100万円1合計300万円の損害賠償を求めた事案である。
2 主要な争点
本件の主要な争点は、
1. 原爆症認定申請却下処分(本件処分)の取消請求について、
ア 原告の入市日・状況
イ 放射線起因性の有無、具体的には、(1)放射線起因性の判断基準、ことに被爆線量評価(DS86)の合理性の有無、(2)申請疾病である肝腫瘍の放射線起因性の有無
ウ 原告の肝腫瘍について放射線起因性が認められるかどうか
2. 損害賠償請求について、本件処分の違法性
である。
3 原告の入市日・状況について
原告の被爆者健康手帳交付申請書(乙B5)、被爆者健康手帳(乙B4)、原爆症認定申請書(乙B1)に添付された申立書(乙B2)には、原告の入市日が終戦の前の日8月14日であるかのような記載があるが、原告は、被爆当時10歳であり、入市日・状況について正確に記憶していたとは考えがたく、不正確な記憶に基づく上記記載をそのまま受け取ることはできないこと、原告の被爆者健康手帳の交付申請書(乙B5)に添付された近隣居住者の「被爆証明書」の入市日に関する記載内容は、これを合理的に解釈すると、「終戦の前日である8月14日ころ、継母の母に連れられて来た原告が、避難先の防空壕で生活していたこと」を証明したものというべきであり、8月14日をもつて原告の入市日を示すものと理解すべきでないと考えられること、原告は、本件処分を受け、同処分に対し、異議申立てをし、同異議申立書に近隣居住者の「被爆証明書」を添付したが、同証明書には、「昭和20年8月10日、稲佐橋近くで(原告に)会つた」旨記載されていること、原告の入市状況に関する記憶のうち、確かなものと考えられるのは、「道ノ尾駅で汽車を降り、そこから歩いて線路伝いに長崎市内方面へ向かった」との点であるが、「長崎原爆戦災史」(甲A222)によれば、「列車の運行は、11日午後10時15分長崎発の終列車より再開した。」とされていることから、原告が道ノ尾駅に到着後、長崎市内に入市したのは、8月12日以前であったと認められること、原告が道ノ尾駅で下車後、浦上、山里、松山を経由して長崎市内中心部の自宅付近にたどり着くまでに見た光景は、被爆後まもない時の長崎市内の状況を示すものと考えられること等の事実からすれば、原告は、昭和20年8月9日ころ小豆島を出て、高松、岡山を経由して長崎市に向かい、同市に入市したのは、遅くとも昭和20年8月12日であったと認めるのが相当である。
4 放射線起因性の判断基準、ことに被爆・線量評価(DS86)の合理性の有無について
被爆者援護法は、厚生労働大臣は、被爆者:援護法に基づく原爆症認定に当たり、疾病・障害認定審査会の意見を聴くものとし、同審査会は、その審査のため、原子爆弾被爆者医療分科会を置くものとし、同分科会は、原爆症認定要件である放射線起因性及び要医療性の判断の指針として、平成13年5月25日付けで、審査の方針(乙A1)を定めているところ、審査の方針の依拠するDS86及びDS02の線量評価システムは、1400メートル以遠の線量評価が実測値に比し、過小となっていると認められ、遠距離被爆者や入市被爆者の健康影響に関しては、誘導放射線量は人体に影響を及ぼす程のものではないとされているが、実際には、発熱、紫斑、脱毛、おう吐、下痢等の急性症状を発症した者が数多く存在することから、残留放射線、内部被爆及び低線量被曝の影響を過小評価していると考えられる。したがって、入市被爆者である原告について放射線起因性を判断するに当たり、審査の方針の採用するDS86及びDS02の線量評価システムに依拠することは相当でない。
そして、被爆者援護法がその前文において、原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊な被害であることにかんがみ、国の責任において、被爆者に対する保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講じると規定しており、同法が国家補償的性格を有していることなどを併せ考慮すると、入市被爆者について放射性起因性を判断するに当たつては、審査の方針の採用する線量評価システム(DS86及びDS02)に依拠するのは相当でなく、最新の疫学的、統計的、医学的知見及び医療分科会が平成20年3月17日付けで決定した新しい審査の方針(乙171)に定める認定要素をも加味し、申請者の被爆前の生活状況・健康状態、被爆後の行動経過・活動内容・生活環境、被爆後発症した急性症状の有無・内容・程度、被爆後の生活状況・健康状態、申請疾病の発症経過・当該疾病の病態・内容、申請疾病以外に申請者に発生した疾病の有無・内容・病態等を総合的に考慮し、申請者に発生した疾病が放射線被曝により招来された関係を是認し得る高度の蓋然性があるかどうかを判断するのが相当である。
5 申請疾病である肝腫瘍の放射線起因性の有無について
原爆放射線の人体に対する影響、放射線による肝機能障害の発症及び促進等に関する医学的、科学的知見は、現在においても十分に解明されたとはいえない状況にあるが、これまでの医学的、科学的知見によれば、原爆放射線が、免疫学的加齢を促進し、これが疾患を発生させ、これに「T細胞のホメオスタシスの錯乱」、「炎症」、「免疫遺伝学的背景」が関与している可能性があり、放射線被爆によるHCVの持続感染及びその進行によるC型慢性肝炎、肝腫瘍の発症に対し、原爆放射線の被曝が影響している可能性があるとみることには相当の根拠が存すると認めるべきである。なお、審査の方針では、肝臓がんが申請疾病とされるにとどまつていたが、新しい審査の方針では、格段に反対すべき事由がない限り、当該申請疾病と被曝した放射線との関係を積極的に認定すべき疾病として、「放射線起因性が認められる」との限定条件を付した上、肝機能障害が付加された。したがって、C型肝炎ウイルスによるC型慢性肝炎から肝臓がんを発症した場合についても、原爆放射線起因性があると認められるべきである。
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原告の肝腫瘍について放射線起因性が認められるかどうかについて原告の肝腫瘍について、前記4の判断基準に従い、被爆前の生活状況・健康状態、被爆状況、被爆後の生活状況、被爆後発症した急性症状の有無・内容・程度等について検討するに、原告は、長崎に原爆が投下された昭和20年8月9日午前11時2分の3日後である同月12日までに長崎市内に入市し、入市当日は、徒歩で道ノ尾駅から浦上、山里、松山(爆心地付近)を通過し、長崎市内中心部の自宅付近(爆心地から約2.5キロメートル付近)にある防空壕にたどり着いたこと、その後、原告は、防空壕で寝泊まりしながら、長崎市内に滞在した約1か月間、継母らに連れられ、浦上天主堂や山里町(爆心地付近)など長崎市内を毎日訪ね歩き、相当量の残留放射線を浴びたと認められること、なお、原告の8月12日までの入市は一、新しい審査の方針(乙171)にいう「原爆投下時より約100時間以内に爆心から約2キロメートル以内に入市した者」に当たると認められること、原告は、C型肝炎ウィルスによるC型慢性肝炎から肝臓がんを発症したのであるが、その場合においても、原爆放射線起因性があると認められるべきであることからすれば、原告に発生した肝腫瘍が放射線被曝により招来された関係を是認し得る高度の蓋然性があると認めるのが相当であり、放射線起因性が肯定される。
そして、被告は、原告の肝腫瘍の要医療性について争わないことから、原告について原爆症認定がなされるべきであり、それにもかかわらず、原告の申請を却下した本件処分は、違法なものとして取り消されるべきである。
7 損害賠償請求について、本件処分の違法性
本件処分は、審査の方針に依拠してされたものであるところ、入市被爆者である原告について、審査の方針の採用する線量評価システム(DS86及びDS02)に依拠するのは相当でなかつたというべきであるが、C型慢性肝炎から進行する肝腫瘍の放射線起因性については、医学的、科学的知見上、現在においても十分に解明されたとはいえない状況にあること、原告は、被爆者健康手帳の交付申請から原爆症認定申請段階まで、入市日を昭和20年8月14日と申告していたが、本件却下処分に対する異議申立段階に至り、同年8月10日と訂正するなどし、入市日・入市状況に関する記憶に混乱、変遷がみられたことが、厚生労働大臣の判断を誤らせる一因になったことは否定できないと考えられること等の事情が認められるから、厚生労働大臣が職務上通常尽くすべき注意義務を尽くさずに漫然と本件処分をしたとまでは認められない。
したがって、本件処分をもって違法とまではいえない。