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原爆症認定集団訴訟 高知訴訟判決要旨 2009年3月27日高知地裁

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主文

  1. 厚生労働大臣が、訴外上杉卓助に対し、平成15年5月21日付けでした原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律第11条1項に基づく認定申請の却下処分のうち、虚血性心疾患に係る部分を取り消す。
  2. 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
  3. 訴訟費用は、これを2分し、その1を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

事実及び理由の要旨

第1 請求

 省略

第2 事案の概要

 省略

第3 当裁判所の判断

1 事実認定

 省略

2 放射線起因性の認定基準について

  (1)原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(以下「被爆者援護法」という。)は、原爆症認定の要件として、放射線起因性及び要医療性の二つの要件を定めているから、訴外上杉卓助(以下「卓助」という。)の認定申請を却下した処分(以下「本件却下処分」という。)の取消しを求める本件訴訟においては、原告らが上記二つの要件の存在を立証することになる。
  その立証は、通常の民事訴訟と同様、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、かつ、それで足りるものと解すべきである(最高裁昭和50年10月24日第二小法廷判決・民集29巻9号1417頁参照)。
 (2)被告は、医療分科会が定めた審査の方針に基づいて、原爆症認定の判断を行っているが、審査の方針で用いられている被曝線量の評価システム(DS86及びDS02)は、収集分析された各種データ、諸条件を基に核物理学の理論等を踏まえて被曝放射線量を計算するもので、原子爆弾の放射線による被曝線量の評価方法として相応の合理性を有するシステムであるということができる。
  しかしながら、上記システムは、放射性降下物からの放射については、被曝線量推定の精度は低いとされており、実際にも、同システムが放射性降下物の影響があったと認めている地区以外からも高濃度のセシウム137が検出されたとする指摘があるのであって、核爆発によって大気中で核分裂生成物が生成されるのみならず、爆発による初期放射線によって誘導放射化された物質が大気中に巻き上げられ、降雨、自然沈降等により地上に降下することも十分考えられ、少なくともその可能性を否定することはできず、同システムが想定する地区以外の地域にも量の多少はあれ核分裂生成物や未分裂の核分裂物質の降下が存在したと考えるのが相当である。
  また、内部被曝の機序についてはいまだ科学的に解明、実証されておらず、現時点において科学的知見として確立しているとはいい難い状況にあるものの、放射線の人体へ与える影響が未解明であることに照らせば内部被曝の影響を重視する論文等をおよそ無視することは相当ではなく、このような内部被曝を考慮しない審査の方針には疑問があると言わざるを得ない。
  そして、低線量の放射線による継続的被曝が高線量放射線被曝と同程度、あるいはより深刻な障害を引き起こす可能性について指摘する科学文献も存在している上、爆心地から3000メートル以内で低線量の放射線を被曝した被爆者の充実性腫瘍(固形がん)の発生率について、統計的に有意なリスクが存在するとした文献も存在しており、これらの科学的知見等を無視することもできない。
  さらには、遠距離被爆者及び入市被爆者に一定程度の急性症状(脱毛、下痢、発熱等)と見られる症状が認められていることなどが指摘されているところである。
  したがって、残留放射線による被曝線量及び放射性降下物による被曝線量の算定において審査の方針の定める基準を機械的に適用し、審査の方針の定(める特定の地域における滞在又は長期間にわたる居住の事実が認められない場合に直ちに放射線起因性がないとすることは、原爆放射線による被曝の実態を正当に評価するものとはいえない。
 (3) 特に、本件のように、爆心地から1300メートル以遠の距離で入市被爆した卓助については、上記で指摘した問題点が最も顕在化する場面であるから、DS86及びDS02の線量評価システムに基づく被曝線量の基準を用いることは相当ではないというべきである。
  そして、原爆放射線が人体に与える影響、疾病発生機序にっいては現時点においても未解明の部分が多いことに加え、被爆の影響によって発症するとされている疾病、通常生活においても発症しうるものであることを踏まえると、原爆放射線を唯一の原因として申請疾病が発生したことの立証を求めることは不可能を強いることになるし、被爆者援護法がその前文において、原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害どは異なる特殊の被害であることにかんがみ、国の責任において、被爆者に対する保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講じると規定しており、同法が国家補償的性格を有していることなどをもかん酌(「かん」は原文では「甚」に「斗」)すれば、本件において、入市被爆者である卓助の放射性起因性を判断するに当たっては、審査の方針の基準によるのではなく、放射性降下物による被曝の可能性や内部被曝の可能恒fをも念頭に置いた上で、卓助の被爆状況、急性症状の有無や経過、被爆後の行動やその後の生活状況、疾病等の具体的症状や発症に至る経緯、健康診断や検診の結果、治療状況等の具体的事情を踏まえ、放射線被曝による人体への影響に関する統計学的、疫学的知見等も基に、被曝の事実が疾病・等の発生又は進行に影響を与えた関係が合理的に是認できる場合は、放射線起因性について高度の蓋然性の証明があったと解するのが相当である。

3 放射線起因性の検討

  かかる観点から本件について検討するに、卓助は、原爆投下後約1時問余りの早い時期に入市し、爆心地から約1300メートルの距離にある下柳橋、京橋、白島付近を含む広島市内で、約2日間にわたり、負傷者の救護活動に従事していたことからすると、卓助が、誘導放射化した土壌により被曝を受け、塵等の放射性降下物を呼吸や飲食の際に摂取するなどして内部被曝した可能性は否定できない。
  そして、卓助に発症した急性心筋梗塞等の循環器疾患と放射線との関係については、近年、放影研の疫学調査等によって、原爆放射線被曝と有意な関係があるとされ、新しい審査の方針策定の際にも、かかる知見をも考慮して、放射線起因性の認められる心筋梗塞が、積極認定対象となる申請疾病に加えられたものであり、これらの科学的知見からすると、卓助の申請疾病である虚血性心疾患についても、原爆放射線による一定の影響を受けた可能性がある。
  また、被曝前は健康体だった卓助が、被曝後には、背中が痛く、毎日昼食後数時間の休憩を挟みながら農作業をせざるを得ないほど疲れやすくなるなど、慢性的原子爆弾症(原爆ぶらぶら病)と思われる症状が認められるし、慢性的に白血球数も高くなっていたものである。かかる身体の質的な変化については、本件全証拠によるもその原因となりうる他の疾病が明らかではないことと相侯って、原爆放射線の影響による可能性を否定することはできない。
  そして、卓助は、黄疸、十二指腸潰瘍の既往歴を有し、肝疾患、消化器疾患にも罹患していたと考えられるところ、これら肝疾患や消化器疾患についても、その発症と放射線線量との間には統計学的に有意な関係があると指摘されていることからすれば、これら卓助の既往歴も、卓助が相当程度の放射線被曝を受けたことを推測させる事情の一つと解される。
  加えて、卓助は、本件却下処分後には、放射線被曝線量と有意な関係が認められる肺がんを発症しているのであって、かかる事実は、卓助が原爆放射線被曝を受けたことを相当強く推認させるものである。なお、卓助の肺がんは本件却下処分後に発見されたものではあるが、本件却下処分当時に発症していたのであれば、申請疾病ではなくとも当然考慮要素とすべきものであるから、卓助の肺がんについても、放射線起因性の判断の考慮要素の一つと考えるべきである。
  さらに、卓助と共に広島市内に入市し救護活動を行った者の多くが、原爆放射線と有意な関係が肯定されているがんを発症し、中には複数のがんを発症している者もいることからすれば、これらの者は相当程度の放射線被曝にさらされた可能性が高く、ほぼ同様の救護活動を行っていた卓助についても同程度の放射線被曝にさらされたであろうことが推測できる。
  以上検討した諸事情を総合考慮すれば、本件における卓助の申請疾病のうち、虚血性心疾患については、放射線起因性を肯定するめが相当である、
  他方、卓助の申請疾病のうち、高血圧については、原爆放射線の影響によるものであるとまでは認められず、放射線起因性を認めることは困難である。

4 要医療性について

  卓助の通院状況に加え、卓助が、本件申請時において、内服治療及び定期的なエックス線、心電図の検査が必要であり、生涯の通院が必要であると判断されていたことを併せ考えれば、卓助が医療を要する状態にあったことは明らかである。

5

 したがって、卓助の本件申請のうち、虚血性心疾患を申請疾病とするものについては、放射線起因性、要医療性の各要件を満たすものであるから、本件却下処分のうち、当該疾病に係る部分は違法であり、取消しを免れない。

6 国家賠償請求の成否について

  行政機関が行った行政処分が、前提事実の誤認や処分要件を欠くため違法と判断されて、当該処分が取り消されたとしても、そのことから直ちに国家賠償法1条1項にいう違法があったと評価すべきものではなく、当該行政機関が資料を収集し、これに基づき前提事実及び処分要件を認定・判断する上において、職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と行政処分をしたと認められるような事情がある場合に限り、違法の評価を受けるものと解するのが相当である(最高裁平成5年3月11日第一小法廷判決・民集47巻4号2863頁参照)。
  本件では、被曝距離から推定される被曝線量に拘泥し、残留放射線、内部被曝及び低線量の放射線による被曝の影響を軽視し、卓助の個別的事情を十分に考慮しなかったとの批判は免れないが、実際の審査に当たっては、個別的に放射線起因性を判断すべき事案として、既往歴や生活歴あるいは医師の意見書等も勘案しながら判断されたであろうことが窺われるのであって、本件全証拠によるも、厚生労働大臣が職務上通常尽くすべき注意義務を尽くさずに漫然と本件却下処分をしたとまでは認められない。
  また、現在の科学的知見をもってしても、放射線の人体に対する影響は完全に解明できていないのであるから、原爆症認定の判断にあたり、一義的な基準を設定することは困難であって、申請疾病と放射線との関係についての医学的知見や疫学的知見などを踏まえた上、申請者の被爆状況、急性症状等の有無又はその内容、その後の症状の経過など個別具体的な事情に基づいて判断せざるを得ない。したがって、被爆者援護法10条1項の規定以上に具体的な基準を
 定めていないことが、行政手続法5条1項に違反することにはならない。
  そして、被爆者援護法11条の認定申請に対する判断は、卓助の被爆状況、既往歴、環境因子、生活歴等の諸事情を考慮し、科学的、専門的観点から個別具体的に検討しなければならないものであるから、相当程度の期間を要することはやむを得ないものというべきであって、本件における検討期間が不当に長期間にわたるもので、行政手続法6条、7条に違反するとまでは認められない。