原爆書認定集団訴訟 広島訴訟 広島地裁判決要旨
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第1 事案の概要
本件は、広島市に投下された原子爆弾に被爆した原告ら(41名。(*1))が、被告厚生労働大臣に対し、原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(被爆者援護法)に基づいて行った原爆症認定申請が却下されたことから、それら却下処分の取消しを求めるとともに、被告国に対し、上記各却下処分は故意又は過失に基づく違法な行為であり、原告らは損害を被ったと主張して、国家賠償法に基づき、慰謝料等(各原告当たり300万円)の損害賠償を求めた事案である。
本件の争点は、(1)原告ら(40名)各人の申請疾病と放射線との間に因果関係が存在するかという起因性判断の適法性(争点1(1))、(2)その余の原告(1名)の要医療性判断の適法性(争点1(2))、(3)被告国の不法行為の成否(争点2)である。
第2 争点1(1)(起因性判断の適法性)について
1 行政処分の要件として因果関係の存在が必要とされる場合に、その却下処分の取消訴訟において被処分者がすべき因果関係の立証の程度は、特別の定めがない限り、通常の民事訴訟における場合と異なるものではなく、その立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではないが、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とすると解すべきである(最高裁平成12年7月18日第三小法廷判決参照)。
そして、この理は、被爆者援護法10条1項にも該当するので、原告において、放射線と負傷又は疾病ないしは治癒能力の低下との間に、因果関係(放射線起因性)の存在につき、通常人が疑いを差し挟まないほどに真実性の確信を持ちうる程度に、すなわち、因果関係が存在する高度の蓋然性を、証明しなければならないことになる。
ところで、人間の身体に疾病が生じた場合、その発症に至る過程においては、多くの要因が複合的に関連していることが通常であって、特定の要因から当該疾病の発症に至った機序を立証することには自ずから困難が伴うものであり、殊に、放射線による後障害は、放射線に起因することによって特異な症状を呈するわけではなく、その症状は放射線に起因しない場合と全く同様である。加えて、放射線が人体に影響を与える機序は、いまだ科学的にその詳細が解明されているわけではなく、長年月にわたる調査にもかかわらず、放射線と疾病との関係についての知見は、統計学的、疫学的解析による有意性の確認など、いまだ限られたものにとどまっているだけでなく、原爆被爆者の被曝放射線量そのものも、後に判示するように、その評価は不完全な推定によるほかはないのが現状である。このような状況のもとで、当該疾病が放射線に起因して発症したことの直接の立証を要求することは、当事者に対し不可能を強いることになりかねない。したがって、疾病等についての放射線起因性の判断に当たっては、疾病発生等の医学的機序を直接証明するのではなく、放射線被曝による人体への影響に関する統計学的、疫学的知見に加えて、臨床的、医学的知見をも踏まえつつ、各原告ごとの被爆状況、被爆後の行動・急性症状などやその後の生活状況、具体的症状や発症に至る経緯、健康診断や検診の結果等の全証拠を、経験則に照らして全体的、総合的に考慮したうえで、原爆放射線被曝の事実が当該疾病等の発生又は進行を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性が認められるか否かを、法的観点から、検討することとするのが相当である。このことは、昭和32年に制定された原爆医療法下で発せられた各通達の趣旨にも副うものと考えられる。
2 昭和61年(1986年)に策定されたDS86は、初期放射線量(直曝線量)を算出する目的で策定された、一定の合理性を有する線量推定方式ということができ、DS86による初期放射線量の推定それ自体が、根拠を欠く不合理なものということはできない。しかし、DS86によって比較的正確に算出できるのはあくまで初期放射線量の限度であるから、審査の方針により算出された初期放射線の被曝線量を一応の最低限度の参考値として把握し、直爆以外の方法による被曝、すなわち残留放射線による外部被曝及び内部被曝の影響については、別途慎重に検討しなければならない。
そして、原因確率(疾病等の発生が、原爆放射線の影響を受けている蓋然性があると考えられる確率。後記の「審査の方針」で定められている。)は一応の合理性を有するものではある(ただし、作成当時の知見を前提とするものであって、現在の知見からすると不十分な点も多い。)が、原因確率には、残留放射線による外部被曝及び内部被曝を十分には検討していないといった様々な限界や弱点があるのであるから、原因確率は一応の単なる判断の目安として扱い、個々の原告ごとに原因確率の理論的な限界や有効性を慎重に検討した上で、個々の原告の個別事情を認定し原曝放射線起因性の有無を個別に判断していかなければならない。
したがって、原告ら各人の起因性の判断に当たっては、決して「原爆症認定に関する審査の方針」(国に置かれた疾病・障害認定審査会が平成13年に策定。)を機械的に適用すべきではなく、飽くまでこれを放射線起因性の一つの傾向を示す、過去の一時点における一応の参考資料として評価するのにとどめて、全体的、総合的に検討することが必要である。
3 専門的知見によれば、発熱、下痢、脱毛、皮膚粘膜出血、重度の全身倦怠感等の症状は急性原爆症ともいわれ、当時から被爆により生じる症状であると考えられていたこと、直接被爆者では被爆距離が短いほど急性原爆症の有症率が高く、屋外被爆者は屋内被爆者よりも有症率が高く、また原爆炸裂の瞬間は屋内、屋外のいずれにあっても、その後直ちに中心地に入った人々に有症率が高く、原爆時に広島市内にいなかった者(非被爆者)で原爆直後広島市内に入ったが中心地には出入りしなかった者には、その直後急性原爆症らしい症候は見出されなかったが、非被爆者で原爆直後中心地に入り10時問以上活動した人々では半数近くに急性原爆症同様の症状がみられ、しかもその2割の人には高熱と粘血便のあるかなり重症の急性腸炎があったこと、嘔吐、下痢、頭痛、発熱の症状およびその発現時期、程度は、現代の緊急被曝医療においても被曝線量との相関を有する症状であると考えられていることなどが認められる。
そして、上記認定によれば、被爆者にしばしばこれらの症状がみられ、また現代医学の視点からも、これらの症状が放射線被曝によって生じうるものであるといわれているのであるから、少なくとも、これらの症状が生じた事実は、放射線被曝の事実及びその程度を判断するに当たって、その重要な判断要素となるとみることには相当の根拠があるというべきである。
そして、専門的知見によれば、DS86推定方式による初期放射線量がほぼゼロと考えられる者についても、上記の急性症状の発症や白血病などに罹患するおびただしい症例が客観的に存在することが公的な資料からも広く認められている。そうであれば、DS86推定方式による初期放射線量がほぼゼロと考えられる者であっても、初期放射線による外部被曝以外の被曝様式によって被曝し、放射線の影響により上記の急性症状を発症した者が存在すると認めることができる。
したがって、発熱、下痢、嘔吐、脱毛、皮膚・粘膜の出血等の症状の存在及びその程度は、初期放射線量が例え寡少な者であったとしても、被爆者がその身体に受けた放射線被曝の事実及びその程度を示す有力な徴憑となりうるということができ、原爆症認定にかかる起因性判断に当たっては、これをその判断要素とすることができるし、また判断要素とすべきであるといわなければならない。
4 原告ら(40名)の申請疾病は、がん(脳腫瘍、甲状腺がん、下咽頭腫瘍、肺がん、胃がん、直腸がん、肝臓がん、胆管がん、膀胱がん、乳がん、前立腺がん、皮膚がん等)とそれ以外(白内障、C型肝炎、ケロイド、骨折、膵炎等)である。各原告について、被爆状況及び被爆直後の状況、急性症状、その後の生活状況・健康状態並びに申請疾病についての医師の所見及び意見等を認定して検討すると、いずれの原告に生じた健康被害についても、被爆後に相当期間を経過した後に発生したものであっても、通常人において、原子爆弾による被爆との関係が存する可能性があるとみることには相応の根拠があるというべきであり、疫学的にもこのことを根拠づけることができる上、更に各原告に申請疾病が発症又は進行した原因として考えられる他の具体的な原因が見当たらないことなどにも照らすと、各申請疾病については、原告らが多大な原爆放射線に被曝したことが、同疾病の発症又は進行を招来した関係にあるものと認めるのが相当である。したがって、原告らの申請疾病については、原子爆弾の放射線起因性が認められる。(*2)
第3 争点1(2)(要医療性判断の適法性)について
1 被爆者援護法10条1項の規定は、その法律上の文言に照らせば、当該被爆者が現に医療を要する状態にあること(要医療性)を、原爆症認定のための積極要件としていて、その立証責任は原告らにあるものと解すべきであり、このことは、同法の根底に国家補償的配慮があるとしても、異なるものではない。
2 原告(1名)については、放射線起因性があることについては争いがなく、要医療性が争点であるところ、被爆状況及び被爆直後の状況、急性症状、その後の生活状況・健康状態及び通院状況、並びに申請疾病(甲状腺がん)の要医療性についての医師の意見等を考慮すると、同原告については、医師による定期的な診察や投薬が必要であると認められるから、同原告は、本件認定申請時から現在に至るまで引き続いて「現に医療を要する状態にある」と認められる。
第4 争点2(不法行為の成否)について
1 原告らは、被告らが、被告らの線量評価基準であるDS86にはこれによって説明できない急性症状が観察されるなど重大な欠陥があり、原因確率という集団データ解析の結果を個々の被爆者に当てはめているなど、誤った認定基準を設けていて、その誤った基準により、申請者を診察することもなく、主治医から意見を聴取することもなく、1件当たり数分間の検討をして違法に本件認定申請を却下し、本件認定申請から却下までの日数は、一部の原告を除いていずれも100日間を超える長期間で、本件認定申請から却下まで各原告を長期聞放置したことにより、原告らに大きな精神的損害を被らせたと主張する。
2 しかしながら、前記のとおり、被告らの採用していた認定基準自体が誤っているとの原告らの主張は採用できない。そして、審査の方針は、これらの基準を機械的に適用するものではなく、既往歴、環境因子、生活歴等も総合的に勘案した上で判断すべきとしていて、このような運用がなされる以上は違法とはいえない。また、個別の被爆者が現実に被った残留放射線による内部被曝・外部被曝の影響を定量的かつ客観的に把握して考慮することは、当時においても又現在においても、技術的にも又制度的にも相当に複雑・困難な作業であり、相当の困難を伴うことが予想されることなども考えると、被告厚生労働大臣が、職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく、漫然と本件却下処分を違法・有責に行ったとまではいうことができないといわなければならない。さらに、原告らが被告厚生労働大臣に対する本件却下処分の取消しを求める請求においては勝訴していることなどの点も考慮すると、被告らの対応が遅延したことを理由とする原告らの不法行為による慰謝料請求の主張は採用できない。
*1申請疾病に係る原告ら及び承継前原告らの人数。
*2なお、判決本文においては、このような各原告(40名)についての事実認定、判断が、判決全体の約3分の2を占めている。
以上