被爆者相談所および法人事務所
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原爆症認定申請者のひとこと 「2キロ超でも入市でも認めて」

 東友会は、「原爆症認定集団訴訟」をすすめるために、27人にアンケートを送りました。協力をお願いしたのは、以下の方達です。このアンケートに回答した方のうちの、7人の東京の申請者の声を紹介します。

  1. 2002年7月9日の集団申請に参加する方4人
  2. 「却下された場合訴訟を」と考えながら、2001年末から2002年6月までに申請をした方15人
  3. それ以前に申請を出し、いまだ結果が届いていない方3人
  4. すでに申請を却下され、異議申立を出している方5人
加藤力男さん
申請病名:胃ガン 当時20歳、長崎2.0キロ直接被爆。
 このアンケートでさえ、平常の状態での記入ができず、苦しかった。眠れぬ夜が続いた。本当は被爆を忘れて生きたい。人生をふり返ると後悔することばかり。
 被爆を引きずって生きてきた。被爆していなかったら、どういう人生を迎えられたかわからない。人並みに愛を感じたり、受け入れたりすることができない。欠陥人間になった気がする。
 国は被爆者を援護するといいながら現実はきびしい。行政の根本に、被爆問題を軽視している姿勢を感じる。
黒住秀夫さん
申請病名:舌ガン 当時12歳、広島1.2キロ直接被爆。1996年食道ガンで認定 医療特別手当受給中。
 熱と光線(ピカ)のため、ボロ布のように焼けただれ、皮膚を垂れ下げて死んでいった人びとを、生き残った私は決して忘れることはできません。
 被爆者はガンが多発していると聞きました。1996年に食道ガン、2001年に舌ガン・悪性リンパ腫にかかり治療中です。いつまで生きられるか不安です。
 入市、1.5キロ以遠の被爆は認定がむずかしいとは問題です。被爆者は誰でも同じだと思います。
関口智恵子さん
申請病名:卵巣ガン 当時12歳、広島1.4キロ直接被爆。
 原爆のため両親、姉、弟、祖母7人が死亡。私一人だけが残りました。残念です。
 ガンの告知をされてから、毎日が不安で、どうして良いかわからない時があります。息子が一人おりますが今は独り暮らしです。主人からは二人目から子どもはいらないと言われました。私が被爆しているからということでした。
山本悦昭さん
申請病名:肺ガン 当時12歳、長崎2.8キロ直接被爆。その後中心地で救援。
 今でも原爆の光は、忘れることができません。
 40歳代から歯茎からの出血がつづき、いつ原爆症の不安が頭から離れない。
 半年、1年という審査期間は、進行ガンをかかえている者に耐えられる時間をとうてい超えています。国の事務能力を疑います。
齊藤泰子さん
申請病名:大腸ガン 当時4歳、広島8月11日入市被爆。
 病気をするたびに、放射線が影響を与えているのではないかと、いつも不安でした。子どもたちに影響はないかと不安です。
 1日も早く「原因確率」という基準を改めていただき、被爆者の強い思いを国が認めてほしいと思います。
吉田忠さん
申請病名:原発性肝ガン(C型) 当時15歳、長崎2.5キロ直接被爆。
 幼くして見た原子野の地獄は一生忘れられない。
 被爆後、健康な生活ができず、ガンと向き合って不安のなかで生きている。
 世間には被爆したことがわからないよう、ひとことも話さないできた。友だちもつくらなかった。
 被爆していなかったら、別の生き方があったかも知れないと思う。
 国がもっと責任を感じて、被爆者全員を認定してほしいと思う。
梅園義胤さん
申請病名:左腎臓ガン 当時5歳、広島2.0キロ直接被爆。同病名での申請は1996年に却下される。
 5歳の脳裏に残っているのは、水をほしがり川に入っていく人の姿と死体が積み上げてあったこと。現在も母の背中に残るガラスが入ったままのケロイド。
 身内でガンになった者はなく、原爆が原因だと考える。ガンが肺に転移していて、インターフェロンの自己注射を7年も続けている。
 認定基準に納得できない。14年も入退院を繰り返し、不安な人生を送っている。