被爆者相談所および法人事務所
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被爆体験継承、原爆症認定集団訴訟支援 青年たちが各地でつどい

インターネットで呼びかけあい岡山・大阪からも
50人で「青年の会」準備

 2003年7月28日、原爆症認定集団訴訟の東京での第1回口頭弁論の日、集団訴訟を支える東京青年の会が結成されます。この準備会として6月14日、青年たちは、高田馬場で被爆者の体験を聞く会をひらきました。50人の参加者のなかには、インターネットで会のことを知り、「ぜひ支援したい」と、岡山や大阪から深夜バスでかけつけた人も。
 体験の証言は、三鷹市在住の出島艶子さん。爆心地から600メートルの職場で18歳のとき被爆し、顔全面に大けがをしたつらさや、隣の袋町小学校で大火傷をしていた子どもたちを置いて避難したことを悔やみ、「8月6日がくるたび、すまんかったねと涙が出ます」「孫の血液に血小板減少の異常が出たときは、私の原爆のせいかと毎日泣きました。生きていくことが原爆とのたたかいでした」という話に、「つらい体験を話していただいてありがとうございました。一緒にたたかいたい」などの発言が続きました。
 この日は原爆裁判勝利をめざす東京の会事務局長の村田未知子さんも、東京の「訴状」の内容と集団訴訟の焦点を説明しました。青年たちから、「未来につながる重要なことだと感じた」「自分自身の問題だと痛感した」「訴状の奥深さがわかった」との感想が寄せられました。

「被爆体験を聞く集い」長方形に並べられた机に着席し、話を聞く参加者たち。
原爆症認定集団訴訟を支える青年の会準備会の「被爆体験を聞く集い」

「ヒバクって知っていますか」 東大生らが80人で映画と講演のつどい

 「平和を望む東大生の会」(略称PeaceT)と「コスタリカ平和の会」の共催で、2003年6月21日、東大弥生講堂で、「ヒバク(被爆、被曝)って知っていますか」のつどいがあり、80人が参加しました。
 つどいは、映画「ヒバクシャ―世界の終わりに」の上映と「劣化ウラン研究会」の話、被爆者の訴え(山本英典東友会事務局長)の3部構成。
 映画は、劣化ウラン問題、米国の核兵器製造工場の風下地域、原爆被爆者の集団訴訟の問題とを織り交ぜて低線量被曝問題を描いたもので、参加者は「低線量被曝の恐ろしさを初めて知った」と語りあいました。
 PeaceTは、9.11テロ直後に結成され、大学院院生を中心に学部、教員も加わった50人ほどのサークル。2002年9月には肥田舜太郎日本被団協中央相談所理事長から低線量被曝の講演を聴いています。

ピーストーク 被爆者の話きき質疑

 2003年6月28日、多摩地区の青年42人のよびかけで、「ピーストーク・原爆被害の体験をきき、語り合う青年のつどい」が、立川市内で開かれました。
 「つどい」で体験を語ったのは、小平市在住の被爆者・久慈敏子さん。久慈さんの体験を聞いたあと、参加者からの質疑では、「被爆者手帳で受けられる援助は」、「ABCCはなぜ人体調査をしたのでしょうか。調査をした被爆者にはなにか補償を与えたのですか」などの質問がだされました。
 最後に久慈さんから「戦前の日本はずっと戦争をやってきました。私は『なんで女に生まれたのか。戦争にいきたい』と思っていました。今の日本は同じような方向に向かおうとしています。若い人に真剣に考えてほしい」とのメッセージがありました。

長方形に並べられた机に着席し、話を聞く参加者たち。
多摩地区の青年のよびかけで集まった「ピーストーク」参加者

京都、長野の大学生ら 全学連が「平和学習会」

 全日本学生自治会総連合(全学連)は2003年7月5日、千代田区麹町区民館で、山本英典東友会事務局長を講師に、「平和学習会」を開きました。
 学習会には、信州大、立命館、龍谷大、東京学芸大、日本福祉大などから30人が参加。
 イラク攻撃、自衛隊派遣問題が出てきて、58年前の原爆被害を問う集団訴訟運動が今日的な課題とつながっていることを学習、被爆者運動への支援・共同を確認しました。