被爆者相談所および法人事務所
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原爆症認定集団訴訟に立ち上がった人びと

 2003年5月27日、東京の被爆者17人が原爆症の認定を求めて集団提訴に立ち上がりました。いずれも、国・厚生労働省から「原爆放射線に起因しておらず、また治癒能力が原爆放射線の影響を受けていないものと判断された」と却下された人です。原告となった17人のプロフィールを紹介します。

長机の並べられた部屋、机の間の通路を歩いて会場後方から前方に向かう、たすきを掛けた原告ら。机に着席した参加者たちは拍手をしている。
5月27日の提訴の後、大きな拍手で迎えられて、贈られたヒマワリの花を手に「勝利をめざすつどい」に入場する原告たち
加藤力男さん
 申請病名:胃ガン。男性・当時20歳。
 長崎市高砂町・中之島の高射砲陣地、2キロで直接被爆。衣類に着火。首、顔に火傷。火傷で頭が腫れ上がり目がふさがれる。12日間意識不明。火傷の治癒に9カ月。倦怠感は8月末まで。脱毛、発熱、嘔吐、下痢が5カ月つづく。その後も断続的な下痢、発熱、頭痛。
 1948年5月から高熱、頭痛、めまい続く。2002年1月胃ガン手術。
加藤力男 原告団団長
梅園義胤さん
 申請病名:左腎臓ガン・肺転移。男性・当時5歳。
 広島市白島九軒町の自宅の庭、2キロで直接被爆。翌日、安佐郡へ避難。本人が被爆時は幼少のため急性症状は不明。
 1946年8月に虫垂炎が腹膜にまで広がり、化膿しやすい体質と言われる。疲労感に悩む。1997年9月腎臓ガン手術。左腎臓摘出。インターフェロンの自己注射を継続。
梅園義胤 副団長
大森克剛さん
 申請病名:大腸・胃多重ガン。男性・当時14歳。
8月7日、江田島の自宅から、広島駅を経由し、大正橋付近の学徒動員先に向う。その後、千田町の母校に向かう途中の福屋デパート付近で意識が朦朧となり帰宅。嘔吐あり。歯茎からの出血は1999年まで続く。
 2000年12月に直腸ガン、2001年12月に胃ガン手術。重複ガン。
大森克剛 副団長
高木留男さん
 申請病名:左腎ガン・男性・当時26歳。
 広島市白島中町工兵隊の兵舎、1.8キロで直接被爆。左後頭部と背中に外傷。1カ月間野宿しながら救援作業に従事。11月まで市内に在住。耳鳴り、下痢、発熱、傷の化膿が翌年まで。常時、耳鳴り、めまいに苦しむ。原因不明の高熱4~5日続く。白血球2,300のときあり。低血圧。強度の貧血。
 1999年3月腎臓ガン手術・左腎臓を切除。
森川靖夫さん
 申請病名:大腸ガン。男性・当時14歳。
 広島市観音本町の広島二中の校舎内、1.7キロで直接被爆。校舎の下敷きになり、全身に負傷。黒い雨を多量に受けながら、自宅に戻る。申請者を学校まで送ってきて校庭で被爆した母は、ヤケドのため自宅に戻った後に死亡。歯茎からの出血3カ月。
 2000年3月に直腸ガン手術後、傷の回復に2カ月かかる。
林太荘さん
 申請病名:前立腺ガン。男性・当時17歳。
 広島市千田町・広電前電停付近の市電の車内、2キロで直接被爆。ガラス片で右手に負傷。全身打撲。当日夕方、郊外の自宅に避難。翌日、中心地を迂回して救援のため入市。20日頃まで連日救援に従事。倦怠感、脱毛、食欲不振がつづく。
 2000年10月に前立腺ガン発見。ホルモン療法の効果なく認定申請提出後、茨城県に転居し、その後2001年10月に手術。
岡川精子さん
 申請病名:大腸ガン。女性・当時20歳。
 広島市皆実町3丁目の自宅の室内、2.5キロで直接被爆。負傷しなかったので、当日午後、弟の捜索のため御幸橋付近まで立ち入る。翌日も捜索のため日赤病院付近まで立ち入る。2000年10月に大腸ガンの手術をした後、傷が回復せず。
 2001年1月小腸に穴があいたため再手術。手術後5カ月も入院。
大塚靖博さん
 申請病名:肝細胞ガン(非ウイルス性)。男性・当時13歳。
 当日、竹の久保2丁目、爆心地から1キロの自宅に戻る。自宅にいた父は翌日死亡。1週間、野宿して自宅周辺で救援、捜索。歯茎からの出血12月まで。視力低下。
 1992年に脳梗塞。1996年11月に食道ガン手術。食道ガンと非ウイルス性肝細胞ガンの重複ガン。2001年8月に肝動脈塞栓手術。
竹内勇さん
 申請病名:前立腺ガン。男性・当時26歳。
 広島郊外の鯛尾で当日から1カ月、救援に従事。8月8日と9日は中心地にて捜索。9月から異様な倦怠感。45年11月に東大病院の検査で白血球が2万4000あり入院をすすめられた。
 1948年には都立大久保病院の検査で白血球が1500に。前立腺ガンはホルモン療法。切迫性失禁あり。
関口智恵子さん
 申請病名:卵巣ガン。女性・当時12歳。
 広島市観音町の第二国民学校校舎内、2.4キロで直接被爆。頭部に外傷。黒い雨を多量に受ける。8日から15日まで市内に野宿しながら家族を捜索。一家は全滅。一人だけ生存し孤児に。重度の倦怠感あり。
 2001年11月部位不明ガンで化学療法開始。2002年2月卵巣ガンの確定診断。以後化学療法継続。
西本照雄さん
 申請病名:胃重複ガン・直腸ガン。男性・当時16歳。
 長崎市飽ノ浦、三菱造船の遂道内、3.2キロで直接被爆。外傷や火傷なし。当日、2キロ付近にあった稲佐橋を渡って寮に避難。18日に爆心地を通過して帰郷。
 1977年十二指腸潰瘍。1994年2月大腸ガン手術。2001年9月胃高分化腺ガンをファイバーで切除。2001年12月胃未分化腺ガン手術。胃重複ガン。
齊藤泰子さん
 申請病名:大腸ガン。女性・当時4歳。
 8月11日に矢賀から1.4キロ地点の比治山町の自宅跡まで徒歩で入市。16日まで自宅跡にとどまり生活。9月から下痢、発熱が2年間続く。高熱で一時危篤に。被爆により下痢、発熱しやすい体質に変わる。
 2001年2月大腸ガンを手術。再発のため2002年5月再手術。2003年5月転移があり化学療法と放射線治療中。
吉田忠さん
 申請病名:原発性肝ガン(C型)。男性・当時15歳。
 長崎市平戸小屋町、三菱電機工場内、2.5キロで直接被爆。頭・首に負傷。左下腿に重傷。10日間、被爆場所で救援作業。下痢、発熱、嘔吐、歯茎出血、倦怠感があり、傷の化膿が1年間つづく。
 1952年虫垂炎の手術で腸が癒着し3回も手術。1998年C型肝炎。2001年8肝臓をガン手術。
右近行洋さん
 申請病名:悪性リンパ腫・脳腫瘍。男性・当時4歳。
 広島市二葉の里、母の実家であった寺院、1.7キロで直接被爆。吹き飛ばされ額に軽傷。焼け跡に仮小屋を建て、その後63年まで被爆地で生活。
 1999年9月悪性リンパ腫と診断され化学療法、放射線治療を継続。2002年4月リンパ腫が脳にも発見され、2003年5月、激しい頭痛のため救急車で入院。
赤井啓三さん
 申請病名:食道・下咽頭重複ガン。男性・当時25歳。
 広島市仁保町・船舶教導聯隊6中隊の兵舎内、4キロで直接被爆。当日から10月まで京橋川南東地域で救援活動。中心地にも立ち入る。傷の化膿、紫斑、血性下痢、歯茎からの出血。
 1990年結腸ガン手術。2000年10月食道ガン手術、2002年2月下咽頭ガンの放射線治療継続。主治医「異時多重ガン」と診断。
山本英典さん
 申請病名:胃ガン。男性・当時12歳。
 長崎市本河内町の自宅の庭、4.2キロで直接被爆。灰と黒い雨を多量に受ける。当日午後3キロ地点まで立ち入る。0.6キロで被爆し、急性症状のため生死の境にあった兄を半年看護。1951年まで被爆地に在住。
 1949年に肋膜炎・肺浸潤。1995年原因不明の大量下血にて入院。2002年8月胃腺ガンをファイバーにて切除。
福地義直さん
 申請病名:肝硬変(C型)。男性・当時14歳。
 広島市国泰寺町0.8キロの自宅内で直接被爆。自宅の下敷きになり、顔と足に負傷。当日、中心地をさまよいながら避難。翌日から発熱、嘔吐。15日頃から脱毛。傷の化膿し治癒に4カ月以上かかる。身体が回復せず1年間休学。
 1953年から1年間原因不明の発熱。1993年から肝機能悪化。インターフェロン治療継続中。