被爆者相談所および法人事務所
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原爆症認定集団訴訟 東京地裁判決後に連日行動

地区の会、東友会が一体になって
支援者とのきずな、もっともっと強く、大きく

 2007年3月22日の原爆症認定集団訴訟東京地裁判決を受け、4月4日までの2週間、東京の被爆者は全国の被爆者や支援者とともに、大運動をくり広げました。この参加者数は東友会49年の歴史で5番目。36地区のべ398人にのぼりました。
 70歳代半ばをすぎた被爆者の行動を成功させた重要なポイントは、2006年1月から東友会が地区の会を主人公にしてすすめてきた第2次集団申請運動が上げられます。地区相談員は、実際に原爆症認定申請のお手伝いをすることで制度への理解を深め、誠心誠意お世話した被爆者が却下されたことで、制度の問題点を実感できました。
 「認定制度の抜本改善を求める賛同署名」を国会議員にお願いする運動も大切なポイントでした。2006年8月の広島地裁判決を前にはじまったこの運動で東友会は、徹底して地元の被爆者と議員との面談を重視しました。同行した東京弁護団の説得力もあって、多くの議員が署名に協力。これが、自民党議員懇結成と東京都議会の意見書採択の原動力になり、「問題解決の道筋が目に見えた」という声が出されるようになりました。
 東友会は、被爆者や原告の遺族によびかけた集会を開き、「行動ニュース」をファックスやEメールで参加できない被爆者にも送り続け、東友会と地区の会が一体となった行動をすすめることができました。

厚生労働省向かい、日比谷公園に設置された座り込みテント前に立つ被爆者たち。たすきを掛け、遺影を掲げた人もいる。横断幕を広げ持つ人たちも。
座り込みテント前から厚労省に向かって「にんげんをかえせ」とうたう

またも国が非情な控訴! 「原告もたたかう」と決意

 「国は控訴をするな」「認定制度を抜本的に改めろ」――被爆者も、支援者も、国会議員も、口をそろえて要求する声に耳をふさぎ、厚生労働省は2007年3月30日、「国の敗訴部分について控訴する」として東京高裁に控訴を強行しました。
 原告団と弁護団は、「国の控訴は、被爆者切り捨ての非情、非人道的な暴挙」と抗議声明を発表。「国が控訴して判決つぶしにかかるなら、原告もたたかう」と控訴しました。
 国の控訴には各政党もいっせいに抗議。「控訴するな」の国会議員署名は、わずか6日間で153通に達し、衆参両院の予算委員会、厚生労働委員会などでの質問も相次ぎました。
 自民党原爆症認定議員懇談会の仲立ちで、日本被団協と原告代表が官房副長官に、政治解決を直接要請する場もありました。
 東京の原爆症認定集団訴訟は、東京高裁と東京地裁で、並行して審理されることになります。

たすきを掛け、遺影を抱え持つ被爆者たちが列を作って車道を歩く。その後ろにはさまざまな団体参加者、その旗やのぼりも見える。
厚労省の控訴に抗議し、亡くなった原告の遺影を先頭に行進

国の理不尽さにだれもが怒り
原告・被爆者、支援の若者たちが強く連帯

 「今もつづく原爆被害の実態を国に認めさせよう」「原爆症認定制度の抜本改善を」ととりくまれた行動は、20年ぶりの座り込み、デモ行進、集会、国会議員や政党への要請、厚労省前街頭行動、早朝の官邸前ビラ配りなど多彩。東友会は連日「東京行動ニュース」を発行しました。その行動の先頭には、敗訴した山本英典原告団長、西本照雄さん、元川末清さんの姿が…。
 国が控訴した後、2007年4月2日から座り込みを開始すると、原告の遺族も寒さと雨をついて参加しました。
 「私は判決で認定されましたが、励まし合って裁判に参加した幼なじみの右近が却下されました。私より近距離で被爆してガンなのに、急性症状があったかどうか証明できたかできないかの違いだけです。理不尽です」。原告団副団長の梅園義胤さんは、冷え込む夜、テント内で青年たちに証言しました。
 行動に参加した青年や支援者から、「被爆者の信念と70代をすぎても衰えない行動力に敬服した」「被爆者がお元気な間に、ぜひ話を聞きたい」という熱い期待がよせられました。

机を挟んで対面する原告・弁護士と厚労省職員。
厚労省(左)と交渉する原告・弁護士(右)
座り込みテント内、ひざに毛布を掛けて椅子に座る被爆者・遺族たち。
控訴に抗議し座り込む被爆者・遺族たち
夜間、座り込みテントの内側と外側に置かれた椅子に座る若者たち。
雨の中、テントに泊り込む若者たち