ノーモア・ヒバクシャ東京1次訴訟全員勝訴 画期的判決
被爆距離、「しきい値」を大幅に緩和した画期的判決 厚労省は不当にも6人を控訴
「ノーモア・ヒバクシャ東京訴訟」の第1陣の原告17人に対し、東京地裁民事2部(増田稔裁判長)は2015年10月29日、「全員勝訴」の判決を言い渡しました。
判決の特徴
原告の疾病は、がんが9人、心筋梗塞・狭心症4人、脳梗塞2人、甲状腺機能低下症(亢進症由来)1人、慢性肝炎(C型)1人です。被爆距離は、1.3キロメートルから4キロメートル。入市時間は被爆当日から4日後までさまざまですが、被爆状況が国の基準を超えているなどが特徴です。
判決では、国が主張する被爆線量は「あくまでも一応の目安」であり、「放射性降下物や誘導放射線、残留放射線の影響も十分考慮しなければならない」としています。その上で、固形がんについては「放射線被曝との関連性」があり、「しきい値は観念されていない」と断じています。心筋梗塞、狭心症、脳梗塞、慢性肝炎についても、「しきい値はないものと考えるのが相当」といっています。しきい値(閾値。「いき値」とも)とは、受けた放射線量(吸収線量、単位:グレイ)がある値以上なら病気が起き、それ以下なら病気は起きない境界の数値が存在するという考え方で、国はこれを前提に認定の判断をしています。
東京地裁は、国の主張を退け、国が原告17人の原爆症認定申請を却下したのは誤りだったとして、却下処分をすべて取り消したのです。
国は判決に従え
画期的な判決をうけて、原告団と弁護団は声明を発表。「国は控訴を断念し重い病気で苦しんでいる原告らの救済をはかれ」と要求しました。地裁前では、支援に駆けつけた人びと傍聴者ら200人が「万歳」の歓呼をあげ、「国は控訴するな」「原爆症認定制度を抜本的に改めよ」「認定制度改定のため国会議員は超党派で法改正を」と拳を突き上げて要求しました。
意気高く支援のつどい
判決後、全国から駆けつけてきた被爆者、弁護士、支援の人びとは、日比谷図書館ホールで「ノーモア・ヒバクシャ訴訟勝利と原爆症認定制度の抜本改正をめざすつどい」を開き、150人が参加しました。
判決報告、全国各地の被爆者、支援の団体・個人から喜びの挨拶を受け、全国から「控訴するな」の要請を厚生労働省に集中することなどを決めました。
国側が6人を控訴
しかし厚生労働省は2015年11月11日、勝訴した原告のうち6人について控訴しました。控訴されたのは、がんが1人、非がんが5人です。東友会と原告団、弁護団などは12日、国の控訴は不当であり、取り下げて被爆者の救済をはかるべきだとの声明を発表しました。
判決後 | 申請病名 | 性別 | 生年月 | 被爆地 | おもな被爆条件 | |
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直接被爆の爆心地からの距離 | 入市、その他の状況 | |||||
確定 | 狭心症 | 女 | 1931年2月 | 長崎 | 約1.3キロメートル | |
国控訴 | 脳梗塞 | 男 | 1935年3月 | 長崎 | 約2.2キロメートル | |
確定 | 前立腺がん | 男 | 1938年4月 | 長崎 | 約3.8キロメートル | 翌日爆心地を通過して安否確認 |
確定 | 胃がん | 女 | 1937年2月 | 長崎 | 約3.6キロメートル | 黒い雨浴びる |
国控訴 | 心筋梗塞 | 男 | 1931年2月 | 長崎 | 約3.5キロメートル | 黒い雨浴びる |
確定 | 胃がん | 男 | 1945年2月 | 広島 | ―― | 8月7日から8日、母に背負われ爆心地付近まで入市 |
確定 | 前立腺がん | 男 | 1942年9月 | 長崎 | 約3.6キロメートル | |
確定 | 乳がん摘出手術後皮膚潰瘍 | 女 (死去) |
1936年1月 | 長崎 | 約3キロメートル | |
確定 | 腎臓がん | 男 | 1933年1月 | 長崎 | 約4キロメートル | 翌日爆心地から600メートルの長崎医大付属病院へ行く |
確定 | 狭心症 | 男 | 1932年3月 | 広島 | 約2キロメートル | |
国控訴 | 下咽頭がん | 男 | 1934年3月 | 広島 | ―― | 8月11日、疎開先より爆心地から約500メートルにある自宅へ向かう |
確定 | 腎臓がん | 男 | 1928年3月 | 広島 | ―― | 8月11日、爆心地から約1.5キロメートルに滞在。12日以降、市内各地を捜索。10月ごろまで爆心地から1.5キロメートルに滞在 |
国控訴 | 甲状腺機能低下症 (甲状腺機能亢進症由来) |
女 | 1941年11月 | 長崎 | 約2.3キロメートル | 黒い雨浴びる。爆心地から1.6キロメートルで1カ月生活 |
確定 | 膀胱がん | 男 (死去) |
1921年1月 | 広島 | 約3.5キロメートル | 翌日、宇品から己斐へ向かうが日赤病院あたりで引き返す |
国控訴 | 心筋梗塞 | 男 | 1933年12月 | 広島 | 約2.5キロメートル | |
確定 | C型肝炎 | 女 | 1928年10月 | 広島 | ―― | 8月8日、爆心地から500メートルの自宅跡で遺骨を捜索 |
国控訴 | 脳梗塞 | 男 (死去) |
1936年6月 | 長崎 | 約3.7キロメートル | 8月15日以降、稲佐橋から北1キロメートルほどの工場跡で遊ぶ。西山のカボチャばかり食べた。 |
大阪高裁が不当な逆転判決
大阪高裁(水上敏裁判長)は2015年10月29日、地裁判決を覆した原告敗訴の不当判決を言い渡しました。これは、肝臓がんで認定申請して却下され、一審の大阪地裁では勝訴していた原告(死亡)について、国が控訴していた裁判です。
ノーモア・ヒバクシャ訴訟近畿弁護団と原告は2015年11月12日、高裁判決は不当だとして、最高裁に上告しました。