「相談電話のこえ」 2025年
2025年「東友」11月号から
介護を受けながら一人暮らし。この歳ですから、いつお迎えがくるかも知れません。
95歳、男性、長崎被爆。死後の埋葬についての相談。
被爆当時は15歳で、長崎の三菱兵器大橋工場に勤めていましたが、たまたま休暇で時津の自宅にいて助かりました。長崎市役所に勤めていた父が帰ってこないので捜し回りました。終戦の日に道ノ尾駅で会えたときは、ほんとうに嬉しかったことを覚えています。
いまは一人暮らしですが介護を受けながら生活しています。この歳ですから、いつお迎えがくるかも知れません。死後の遺骨の世話も東友会なら受けてくれると聞き電話をしました。高尾に被爆者の墓があるとも聞いています。
火葬までは区役所に相談していますが。その後の手配をお願いできないかと思っています。
2025年「東友」10月号から
他県に転居しても、「被爆者健康手帳」や「手当証書」はそのまま使えますか。
80歳代、女性。広島被爆。他県に転居した場合の手帳などの扱いについて。
私は現在、東京都内で一人暮らしをしています。でも歳をとってきて一人での生活がたいへんになってきているのを実感しています。娘がいて、近県に住んでいるのですが、いずれ娘の近くに転居することも考えはじめています。
いまは病院にかかるにも、「被爆者健康手帳」で医療費の助成を受けており、たいへん助かっていますいます。手帳申請のときには、東友会にたいへんお世話になったんですよ。
この先もし、東京都から他県に転居した場合、「被爆者健康手帳」や「手当証書」はそのまま使えるのでしょうか。いま健康管理手当を受けていますが、転居先でまた診断書をもらって申請しないといけないのでしょうか。他県には東友会のように日ごろ相談にのってくれる窓口はあるのか、心配でもあります。
転居が具体的に決まりましたら、またお電話をしたいと思います。
2025年「東友」6月号から
娘が食事や入浴など手伝ってくれています。「介護手当」の対象になりますか。
80歳、女性、長崎被爆。「家族介護手当」の申請について本人から相談。
これまでひとりで暮らしていましたが、体調を崩し要介護4になりました。被爆者には「家族介護手当」があると知り合いの人から教えてもらったのですが、私も支給してもらえるのでしょうか。
介護が必要になって、いままで別に暮らしていた娘が「もう独り暮らしは無理よ」と同居してくれることになりました。娘は仕事があるので、昼間は私は1人になるのですが、デイサービスまで連れていってもらい、そこで過ごしています。
医者からは関節リウマチといわれ、あちこちの痛みがひどく、足腰の力も入らなくなりました。
ひとりで頑張ってきましたが、いまは車いすの生活で、人の手を借りなければ自由に動き回ることもできません。娘は食事や入浴などすべて手伝ってくれます。感謝の気持ちを少しでも娘に伝えたくて、手当がもらえるかどうか、問い合わせた次第です。
2025年「東友」5月号から
認知症が現れた夫。特養に入れてもらうには「要介護3にならないと難しい」と…
80歳代、男性。広島直爆1.8キロメートル。今後の介護先について、妻からの電話。
夫に認知症が現れ、これまでの「要支援2」が「要介護2」になりました。夫は、ものが見つからないとパニックになったり、被害妄想も出てきました。食べられないものを「食べたい」と言ったり、食べたことを忘れることもあります。私が留守の間に知らない人を家に入れていて、詐欺だとわかり追い返したこともありました。
この先、自宅で私が介護していくことには、年齢的にも体力的に自信がありません。そこで、特別養護老人ホーム(特養)に入れてもらえないだろうかと支援センターに相談したのですが、「要介護3にならないと難しい。特養に入所できるまで別の施設で待つしかない」と言われました。
次に、近くにあるグループホームに相談したところ、たまたま空きがあり「申し込むなら急いでください」と言われ、すぐ手続きしました。ひとまず何とかなりそうですが、特養にはいつ入れるか不安です。