被爆者相談所および法人事務所
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「相談電話のこえ」 2023年

2023年「東友」12月号から

「一般介護手当」が認定されましたが、書類の書き方がよくわかりません。

 93歳、男性。長崎被爆。「一般介護手当」の書類の書き方について、家族からの問い合わせ。

 別居している娘です。東京都から「一般介護手当」を「中度」で一年間認定したとの通知といっしょに、「介護手当支給申請書」「領収書及び介護実績明細書」などの書類が送られてきましたが、書き方がよくわかりません。
 父の介護には娘の私が週に数日いっています。
 「明細書」に、私が父の介護にいった日ごとに時間を書いていけばよいのでしょうか。「介護料単価」はどう決めればよいのでしょうか。父はデイサービスにいく日があり、その日に部屋の掃除にいくのですが、それも申請できますか。

相談員からの答え

 「明細書」には日にちごと介護した時間と内容とその合計を書くこと、「介護料単価」は本人と介護する人との話し合いで決めることなどを説明。介護を受ける被爆者が不在のときの掃除などは対象にならないことを説明しました。

2023年「東友」10月号から

原爆症と認定されると知り申請しましたが、厚労省から何度も照会が…

 82歳、男性。広島被爆。原爆症認定申請に対する厚生労働省の照会について。

 私は広島の2.5キロメートルで被爆して、がんの治療を受けているので、厚生労働省の基準で原爆症と認定されると知りました。医師は「意見書」に、頬にできたがんが肺に転移していること、抗がん剤を投与していることを記入し、手術で切除した組織検査ががんであるという報告書のコピーも出してくださいました。
 これで私は原爆症と認定されると思っていたら、8月に厚労省が、抗がん剤の薬剤名、投与された日と量がわかる処方箋を、放射線治療の治療した日と量がわかる照射記録などを聞いてきました。相談員のあなたが病院に依頼を送ってくださったのに、病院は80歳を超えた私に書類を持参せよとのことで、猛暑の中を出かけました。
 それを出したら、また厚労省から、放射線治療のことと、2年前に受けた化学療法の内容を知らせよ、との照会があったとか。こんなに大変な申請は、とても一人ではできませんね。

2023年「東友」9月号から

自宅で亡くなっていた高齢者の事情がわかれば、と警察署から問い合わせ。

 赤羽警察署の刑事からの電話。一人の高齢者(Sさん)が死後に発見され、自宅から東友会の資料がたくさん出てきたので、その人の事情がわかるなら聞きたい、との問い合わせ。

 東友会は守秘義務のある相談所であることから、ひとまず電話での対応は保留し、東京都被爆者援護担当と相談。来所して身分を確認した上で対応することにしました。
 東友会に来所した刑事は警察手帳を見せて、「事件性はないと思われるが、Sさんは自宅で亡くなってから1週間ほど過ぎていると推定される。家族や親類がいるなら連絡したいが、それがわからない」と話し、手がかりになることがあれば教えてほしいとのことでした。
 Sさんは昭和16年生まれであること、長崎の原爆で家族を全て亡くした後、授産所で働きながら、ずっと慎ましい生活を続けていたこと、身内はいないと聞いていることを伝えました。
 ノーモア・ヒバクシャ訴訟に参加していた方ですので、担当弁護士の連絡先も知らせました。

2023年「東友」7月号から

子どもに被爆者であることは話していません。反応が怖いのです。

 81歳、男性。3歳のとき広島入市被爆。自分が被爆者であることを子どもに伝えるべきかどうかで相談。

 私は3歳のとき、8月7日に親に連れられ家族捜しのため市内に入りました。社会人になったころ、父が私のために取っておいてくれた被爆者手帳を送ってくれました。私は、被爆者であることで差別を受けていた人を知っていたので、誰にも言いませんでした。病院でも手帳は使わず、手当の申請もしませんでした。60歳を過ぎたころから、具合の悪いところが出てきて治療費がかさむようになり、被爆者手帳を使うようになりました。
 子どもが1人いるのですが、私が被爆者であることは話していません。子どもの反応が怖いのです。子どもは、喘息がひどく苦しんでいます。被爆との関係はわかりませんが、私の被爆が原因ではないかと悩むかもしれません。
 私が被爆したことは死ぬまで言わないでおこうと思ってきましたが、近ごろ、伝えた方がよいのか迷うようになりました。

2023年「東友」5月号から

治療が終わって13年目ですが、手当は継続できるでしょうか。

 77歳、男性。長崎・胎内被爆。転居先から医療特別手当の更新についての相談。

 昨年4月、自然豊かな県へ引っ越しました。63年間の東京での暮らしに別れを告げ、森の中で人生を全うすることになりそうです。東友会にはほんとうにお世話になりました。
 3月に県から医療特別手当の更新に必要な健康状況届を出すよう書類が届きました。転居後も、がんの手術や化学療法を受けた東京の病院に、医師の指示で定期的に通院しています。この手術がもとで起こっている逆流性食道炎の治療も以前と同じです。医師の処方で消化薬をもらっているのも都内に住んでいたときと同じです。治療が終わって13年目ですが、手当は継続できるでしょうか。

相談所の対応

 都内の病院の医師が作成した診断書のコピーが東友会に届き、チェックして返答。この人は県に健康状況届を提出しました。2023年6月に届く審査結果を報告してもらうことになっています。

2023年「東友」4月号から

手続きがこんなに大変なら、手当はもうお断りしようと思います。

 93歳、男性。広島被爆。要介護4の夫の手当更新について、二人暮らしの92歳の妻から相談。

 夫はこれまで、被爆者の制度のことは全部自分で手続きをしてきました。でも入退院をくり返し、いまでは歩行もできません。東京都から夫宛に書類が送られて来ますが、私にはさっぱりわかりません。東友会からも郵便が届いたので電話しました。
 夫の銀行口座に被爆者の手当が振り込まれているのですか。夫の口座を見たことはありませんし、それを知ってもどうしていいかわかりません。更新手続きがこんなに大変なら、手当はもうお断りしようと思います。

相談所の対応

 夫の介護で疲れ果てている妻が途方に暮れている様子なので、東京都に問い合わせて「医療特別手当」と「家族介護手当」の更新書類が本人宛に同時に送られていることを確認。近くに手伝ってくれる親族もいないので、東友会にすべての書類を郵送してもらい、必要な手続きに対応しました。

2023年「東友」3月号から

骨折・入院した母。帰宅を望んでいますが、心不全で酸素吸入器も必要になり…

 92歳、女性。広島入市被爆。娘から「被爆者の制度」について相談。

 母は要支援1でしたが、身の回りのことはほとんど自分でしていました。ところが先ごろ転んで骨折・入院。主治医から「入院は2カ月、その後の行き先を探すように」といわれています。母は転院ではなく帰宅を望んでいますが、入院後に心不全を起こし、酸素吸入器もつけるようになりました。
 今回のことで被爆者の制度を調べてみて、2つのことが気になっています。
 心不全で原爆症は認められますか。母は8月7日に家族を探すため入市。鉄砲町を通り自宅の様子を見に行ったそうです。卒業した女学院の証言集にも当時のことが書いてあり、とてもつらい経験をしたと語っていました。そんな母のために少しでも何かできないかと思っています。
 もうひとつ、自宅に帰っても介護が必要ですが、被爆者には「介護手当」があることを知りました。これはどういうものでしょうか。制度の使い方を教えてください。

2023年「東友」1月号から

とても元気で母の介護をしていた父が突然入院。介護が必要だといわれました。

 90歳、男性。広島被爆。妻も被爆者。妻の介護をしていた本人が発病し入院。娘から今後の介護について相談。

 両親とも被爆者です。父はこれまでとても元気で、母の介護をしていました。そんな父が突然具合が悪くなり入院。介護が必要だといわれました。
 娘の私は別居で、仕事を持っているため、母の介護はこれまでほとんど父に任せきりでした。「被爆者の制度」のこともよくわかりません。
 母の介護は当面、私がすることになります。家族介護手当を受けていたようですが、これは変更が必要でしょうか。
 父は短期間で入院と退院を繰り返しており、今後の見通しはまだはっきりしませんが、退院してくると私1人で2人を見ていくことになります。
 母は今後、施設の利用も考えています。父の準備はこれからです。介護保険制度と「被爆者の制度」の使い方、その手続きの仕方を教えてください。これからどうしたらよいか混乱しています。