「相談電話のこえ」 2017年
2017年「東友」11月号から
老人ホームなどでは、どんな場合でも介護手当は認められないのでしょうか。
96歳、女性。広島入市被爆。有料老人ホーム入所中。一般(他人)介護手当についての相談。
10年前から有料老人ホームに入っています。ホームに入るまでは、娘と息子が交替で自宅に来て面倒をみてくれ、他人介護手当を受けていました。ホームに入るとき、施設に入ると介護手当は受けられないと知り、他人介護手当は断りました。
いまは要支援で、身の回りのことはなんとか自分でできるためヘルパーは頼んでいませんが、だんだん身体が弱くなってきましたので、老人ホームの相談員さんとヘルパーを頼むかどうか話しています。でも、ヘルパーは外の業者に頼むのでお金がかかると言われました。
いまも娘と息子は、月に1回くらい遠方から来て、泊まり込んで面倒をみてくれています。こんな場合でも、自宅ではないホームなどでは、他人介護手当は認められないのでしょうか。
2017年「東友」10月号から
父が脳梗塞を起こし、同居の私が介護をするようになるのですが…
82歳、男性。広島直爆。娘さんから今後の生活についての相談。
父はこれまではいたって元気で、被爆者の手当は何も受けてきませんでした。7月初めに脳梗塞を起こして入院。今後、同居の私が介護をするようになるのですが、不安です。
現在、リハビリ病院に移りリハビリ中です。介護保険は要介護1と認定されました。左側のマヒがあり、「高次機能障害」とも言われ、物忘れが多く、転びやすい状態です。医師からは、日常の生活に見守りや介助が必要と言われています。外出も一人では無理です。一人にしておくことができません。あと1週間ほどで退院になるので、その後のことが心配なのです。
私はこれまで、被爆者の制度の内容はほとんど知りませんでした。父がいただける手当や、介護を受けるようになった時の助成制度があれば教えていただきたいと思い、電話しました。
2017年「東友」9月号から
原爆投下の3日後に入市。証明する手立てがなく手帳取得は諦めていましたが…
87歳、男性。長崎入市。被爆者手帳申請の相談。
疎開先の長与村で被爆。原爆投下の3日後に入市しました。それを証明する手立てがなく諦めていましたが、友人に強く勧められて相談の電話をしました。
当時、両親らは南京で暮らしており、私だけ瓊浦中学に通うため駒場町の伯母の家に下宿していました。
中学3年の昭和20年8月になって長崎が空襲を受け、このままでは危険だと、8月6日に伯母の知人の家がある長与村に疎開したのです。
原爆が落ちた後、伯母の家の様子を見に一人で出かけました。山を越えて市内が見えた時、すっかり様子が変わっていて、駒場町まで行っただけで帰ってきました。途中、被爆した人の遺体、死んで横たわっている馬も見ました。その様子ははっきり覚えていますが……。
当時のことを知っている存命者は、一緒に疎開していた従兄弟だけです。疎開先のお宅に戦後養女に入ったお嬢さんと、お世話になったご両親の墓参りで数年前にお会いし、当時の思い出話をしました。そんな証人しかいないのですが、手帳の発行は認められるのでしょうか。
2017年「東友」7月号から
夫は「頑張って手当はもらわない」と言い、申請してきませんでした。
72歳、男性。広島3.4キロ直爆。妻から健康管理手当申請についての相談。
これまで被爆者の手当を何も受けていません。このたび入院となり、手当を受けさせてやりたいと思い電話しました。
夫は生後8カ月の時に、母親と一緒に被爆しました。98歳で寝たきりになったその母親を、私と一緒に介護してきました。
夫は肺の病気で片肺になっています。苦しそうなので被爆者の手当を受けてはどうかと勧めてきましたが、「頑張って手当はもらわない」と言い、申請してきませんでした。ところが、今月になって呼吸不全を起こして緊急入院。いま集中治療室での治療を受けています。今後の見通しは立っていません。これまで頑張ってきたのだから、もう被爆者の手当を申請してもよいのではないでしょうか。
2017年「東友」5月号から
保健手当の更新について市役所に相談してみましたが…
75歳、男性。広島1.5キロ直接被爆。保健手当高額の更新についての相談。
この診断書が該当しないなら、保健手当の高額はあきらめます。診断書を出す保健手当の高額の条件は、ケロイドとか、身体障害がある場合なんですね。
私は「70歳以上の身寄りのない独り暮らしの者」という条件で保健手当が倍額になると2年前に東友会に教えていただいて、受けてきました。しかし、毎年、民生委員にお願いして「同居している人がいない」という証明を書いてもらうことが必要なので、東京都から書類が届きます。
去年の更新は初めてでしたので、民生委員がどなたかも分からず東友会のお世話で更新できました。今回は一人で市役所に行って相談してみました。でも市役所の人も、前に証明していただいた民生委員にも協力してもらえませんでした。
東京都から来た封筒に診断書が入っていたので、これで更新できるかと、かかりつけの医師にお願いしましたが、それで更新できないなら仕方ありません。診断書の料金を負担しましたが、それは大丈夫です。
2017年「東友」4月号から
現在のお住まいが取り壊されることになり、転居先を相談しているのですが…
89歳、女性。広島被爆。独居。認知症出現。今後の住居についてケアマネージャーよりの相談。
担当をしているケアマネージャーです。現在お住まいの住宅が建て直しのため2年後に取り壊されることになりました。転居先を相談しているのですが、住み慣れた所を出たくないとおっしゃっています。
ご本人は、お友だちと同じ場所で暮らしてこられました。そのお友だちはすでに亡くなり、今はお一人暮らしです。施設の申し込みもお勧めするのですが、知らない他人と一緒に生活するのは嫌がられます。
見た目はお元気そうですが、最近認知症が進んできて、要介護度は2から4になりました。判断力はまだしっかりされているので、ご本人の意志を無視をすることはできません。
家族はおられず、天涯孤独の状態です。財産管理の問題もあり、成年後見人制度の活用も考えていますが、いまのところ、ご本人が納得してくださるかどうかは疑問です。
2017年「東友」3月号から
父の有料老人ホームへの入所を考えています。なにか助成制度がありますか。
91歳、男性、広島直爆。娘より介護助成、手当についての相談。
父の有料老人ホームへの入所を考えています。なにか被爆者の助成制度があるのでしょうか。
父は昨年まで元気に過ごしていました。暮れに倒れて入院し、まもなくリハビリ病院に移ることになっています。ただ、主治医からは「高齢でもあるので、リハビリをしてもこれまでのように自宅で生活するのは難しい。今後の事を考えておいてほしい」と言われました。
いろいろ調べましたが、すぐ入れる施設は有料老人ホームしか見つかりません。今、いただいている被爆者の手当は白内障で健康管理手当だそうです。この手当は、施設に入ってももらえるのでしょうか。
東友会の資料を読むと、介護を受けるようになると「介護手当」が受けられたり、有料老人ホームでも手帳が使えるところがあるように書いてあったと思いました。父のような場合はなにが当てはまるのでしょうか。
2017年「東友」2月号から
これまで被爆者手帳の申請を拒否してきましたが、心不全を発病し…
85歳、男性、広島入市被爆。被爆者手帳申請についての相談。
私は、これまで被爆者手帳の申請を拒否してきました。しかし年をとり、心不全を発病して、申請することを決めました。
8月6日の被爆時は、学友や教師と一緒に作業に向かう途中の芸備線のトンネルの中でした。その夜は宇品で宿泊し、翌7日に爆心地から1キロメートルほどの寺町にあった自宅に向かい、入市しました。途中姉とも合流し自宅に向かったのです。
姉は手帳を申請し交付を受けました。私にも再三申請を勧めてくれました。しかし私は、当時見た凄惨な出来事を決して口にしたくはありませんでした。家族や子どもたちに対する差別が心配で申請はしませんでした。
幸い子どもたちは結婚して独立し、差別への心配も薄らいできました。そんなとき心不全を発病し、いまも治療中です。介護の問題もあり被爆者手帳の申請をしたいと思うようになりました。すでに一緒に入市した姉も亡くなり、当時の事情を知っている人はいないのではないかと思います。被爆者手帳を発行してもらえるでしょうか。
2017年「東友」1月号から
離婚した夫をやむなく介護していますが、年金もなく介護人を雇うこともできません。
93歳、男性。長崎被爆。独居。元の妻から介護手当の申請についての相談。
すでに離婚した夫のことで電話しました。夫は、若いときに大量のお酒を飲んだり、愛人がいたりして、かなり荒れた生活を送っていました。
年をとってきて、内臓全体が悪く、歩行も不自由になり、私に助けを求めてきたので、やむなく介護をしています。最近は、車イスでの生活になり、通院にも付き添うようになりました。認知症のため自分で薬の管理もできなくなりました。失禁も増えています。出前が嫌いだと言うので食事は作り置きして、掃除や洗濯もしています。まともに働いたことがなく、年金も受けられないので、介護人を雇うこともできません。
医師からは、このままでは人工透析が必要になる病状だと言われました。介護保険のケアマネージャーさんからは、施設に入れたらどうかと言われています。でも、意識がはっきりしているときもあるので、施設に入れるのは忍びないと思っています。