被爆者相談所および法人事務所
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「相談電話のこえ」 2014年

2014年「東友」12月号から

最近転びやすいし認知症の検査も必要と言われました。がんが原因でしょうか。

 76歳、女性、長崎被爆。病気と介護について本人と娘からの相談。

 がんで原爆症認定の申請をしています。最近転びやすいし認知症の検査も必要と言われました。がんが原因でしょうか。娘と電話を替わりますので、どうしたらよいか教えてください。
 父母はふたりで暮らしています。父が具合が悪く母が世話をしてきました。ところが、母にがんが見つかって治療が始まってから、急に弱ってきました。部屋の中でも転ぶようになり、腕の痛みや、足のむくみを訴えます。母はそれががんのためではないかと心配しています。
 がんの治療もあるので父親の介護はたいへんになっています。私が昼間来られるときに両親の世話をしています。
 私も母も、介護保険のことや被爆者の制度(介護手当)のことはよく分かりません。

相談所の対応

 東友会が送る資料を参考にして両親の介護保険の認定申請手続きをすることになりました。さらに、転倒や体調の悪い原因については、医者にきちんと相談することになりました。

2014年「東友」11月号から

被爆二世の無料の健康診断に行ったところ腫瘍がみつかり…

 被爆二世、男性。東京被爆二世の会「おりづるの子」への電子メールから。

 7年前に東京都から「健康診断受診票」を交付されながら、私は初めて健康診断に行きました。混まないからと近所の診療所で受けたがん検診で精密検査が必要と診断されました。紹介先の病院で内視鏡検査を受けたところ、大きな腫瘍がみつかりました。
 快眠快食快便の毎日で、月に一度は山登りかゴルフに行き、何ら自覚症状がないだけに、狐につままれたような思いになりました。速やかに切除するように示唆されて観念しました。
 内視鏡を使った手術で約10センチの腫瘍を切除しました。退院した後、がんは総て取り切れ、放射線も抗がん剤も不要、「100% OK」と主治医から言われたときは思わず涙が溢れました。
 大型のがんでしたが、早期でみつかり処置が良く、すべてが幸運に恵まれました。東友会と東京都に守られたと痛感しました。
 被爆二世の会に出て奨められて健診に行き、がんが発見されました。心から感謝しています。みなさまも御守がわりに受診していただきたく、一筆啓上しました。

2014年「東友」10月号から

高齢で独り暮らし、ギリギリで暮らしている方こそ手当を使えればと思うのですが…

 93歳、女性。広島被爆。ケアマネージャーから「介護手当」の利用についての相談。

 昨年、私が申請のお手伝いをして「一般(他人)介護手当」が認められた方です。認められてから一度も支給申請していないことがわかりました。一年経つので更新の書類も届いていましたが、提出期限の直前に私に渡されました。
 この方は独り暮らしで身寄りはありません。介護保険のヘルパー利用料は私が都へ手続きをして本人負担はありませんが、毎月自費のヘルパーにも来てもらい5000円くらい支払っています。「一般介護手当」が認められるとこの金額が戻ってくると聞いて昨年申請したのです。
 ちょっとした事務手続きならともかく、ケアマネの私が月々の介護手当申請のお手伝いまでできるかどうかは不安です。
 ご本人は、「領収書はどこにやったかわからない、探して見つからなければ諦める」といい、「更新も面倒だからしなくてよい」とおっしゃいます。
 高齢で独り暮らし、ギリギリで暮らしているこんな人こそ手当を使えればと思うのですが、どのように援助していけばよいのでしょうか。

2014年「東友」9月号から

母を自宅で介護。利用中の介護保険のサービスは母にはうまく合わないようです。

 86歳、女性、長崎被爆。同居の娘から介護保険サービスについての相談。

 母を自宅で、同居の私が介護しています。介護保険のサービスも使っていますが母にはうまく合わないようです。
 私も身体が不自由なのですが、二人暮らしなので母の身の回りのことは私がすべてやっています。家族介護手当をもらっています。
 毎日一日中、一人で介護するのは無理なのでデイサービスやショートステイを利用しています。でも帰ってくるといつも元気がなくなったり、認知症が進んだような様子になります。リハビリもやってくれることになっていますが、人手が足りなくてできなかったと言われます。
 できるだけ自宅で過ごさせてやりたいのですが、私一人では無理。ヘルパーを入れてもらいたいのですが、同居人がいるからダメだと言われました。とてもひどいと思います。私が倒れて動けなくなるのを待っているのかと思ってしまいます。あちこち相談してもらちがあきません。何かよい方法はないものでしょうか。

2014年「東友」8月号から

原爆症の認定をお願いすることは、過ぎた身勝手ではないかと思い至りました。

 86歳、男性。長崎被爆。14年1月、白内障で原爆症認定申請を提出。申請取り下げを希望する手紙から。

 (注)この方の被爆状況は、長崎1.2キロ直接被爆。厚生労働省の審査基準で「積極認定」の範囲内にあります。合わせて、右側から熱線と飛散したガラス片を受け深い火傷と裂傷を負い、被爆後は、激しい急性症状を発症しています。

 厳しい暑さが続きます。私の白内障について心配をおかけし、厚くお礼申し上げます。
 厚生労働省から追加資料の請求があった旨の書面をお送りくださりありがとうございました。ご親切なお取りはからいにより認定申請をお願いしているところですが、彼岸行きも近い年齢を重ねておりながら、原爆症の認定を更にお願いすることは、あまりにも過ぎた身勝手ではないかと思い至りました。子どもの意見も、今になって、なおかつ過ぎたことではとの同じ思いでありました。
 ずいぶんと貴重なお時間を私のためにお使いいただいたご尽力に背きます失礼をお許しいただき、申請をお取り下げくださいますよう伏してお願い申し上げます。

2014年「東友」6月号から

被爆二世の医療費の払い戻しの手続きについて教えてください。

 被爆二世、男性。医療券の使い方についての相談。

 東友会へは初めて電話します。被爆二世の医療費の払い戻しの手続きの仕方について教えてください。
 じつは先月、自分で二世の医療費助成の制度を申請し、今月「医療券」が届きました。医療券が送られて来たとき、医療費払い戻しの書類も同封されていました。かかっている病院へ持っていき、医療費の証明をお願いしたのですが、文書料がかかると言われました。
 今日も受診し医療費を支払ってきました。毎月、文書料を支払って医療費払い戻しの手続きをするのは大変です。何カ月分かまとめて1枚の書類に書いてもらって請求するような方法はありませんか。
 えっ、医療券といっしょに送られてきた払い戻しの書類は、申請した月に支払った医療費を戻してもらうためなのですか。毎月病院に証明を書いてもらう必要はなく、以後は保険証と医療券を病院の窓口に見せれば無料になるのですね。まったく勘違いをしていました。もっと早く相談すればよかったです。ありがとうございました。

2014年「東友」5月号から

マンション建て替えで退去に。独り者の老人を受け入れてくれるところはなく…

 86歳、女性。広島被爆。住宅退去をもとめられての相談。

 今住んでいるマンションを建て替えるので年内で退去してくれと言われました。被爆者がはいれる転居先はないでしょうか。
 私は妹が上京してきて以来、今のマンションで一緒に暮らしてきました。妹は10年前に他界。それからは独り暮らしですが、住み慣れた所なので住み続けてきました。今年になって契約更新の時、大家さんから「古くなったので立て直す」と更新はしませんでした。
 不動産屋で引っ越し先を探しましたが、独り者の老人を受け入れてくれるところはありません。都営住宅も申し込みましたが当たるかどうかわかません。引っ越し先を紹介してもらうことはできないでしょうか。
 マンションには10世帯住んでいましたが、とうとう最後の人も引っ越し先が決まったそうです。私一人になってしまいます。広島に兄弟が一人いますが、病気のため頼ることはできません。
 役所にも相談にいって、市営住宅や都営住宅で優先して入れてもらえないか相談してみたらよいのでしょうか。

2014年「東友」4月号から

夫は脳梗塞で倒れ、がん再発の検査などができません。手当の更新はどうしたら…

 長崎被爆、83歳の夫の医療特別手当健康状況届(医療特別手当の更新)について妻からの電話。

 健康状況届の書類が来ました。東京都から届いた説明では、肝臓がんは手術後5年間は大丈夫のようなことが書いてありました。夫は3年前に手術を受けたので大丈夫だと思いますが、肝臓がんについての治療も検査も受けていません。というのも最近、脳梗塞で倒れたので、現在の主治医から「肝臓がんの再発や経過観察の検査はできない」といわれ、がんの手術をうけた病院には通院していません。それでもと思い、がんの手術を受けた病院に電話で尋ねたら、通院していない患者の診断書は出せないと言われました。
 夫は15年か20年前に心筋梗塞の発作を起こして救急車で運ばれ入院しました。以後ずっと血をさらさらにする薬を飲んだり、心臓の検査は受けています。
 去年暮れに、2キロで被爆していれば心筋梗塞も認定されると聞いて申請したいと思いましたが、救急車で運ばれた病院に聞いたら、カルテが残っているのは5年間だと言われました。どうしたらいいのでしょうか。

2014年「東友」3月号から

広島で被爆者の救護に当たった母。手帳の申請をしましたが却下されました。

 他県在住の84歳の母の被爆者手帳申請について、娘からの電話。

 母は、原爆投下直後から13日まで、広島で被爆者の救護に当たったそうです。このたび県に被爆者手帳の申請をしましたが却下されました。手帳の発行は無理なのでしょうか。
 母は当時、宇品の被服廠に勤務。戦禍が激しくなり、西条の駅裏の教善寺に移り働いていたそうです。原爆投下後、広島市内方面に大きなキノコ雲を見ました。程なく救援の指示が出され、市内に入り、現場で寝泊まりしながら、負傷者の救護、遺体の移葬などを手伝ったそうです。
 当時の被害の様子は鮮明に覚えているようですが、どこの駅からどこの町まで行ったのか思い出せません。一緒に救護に当たった友人も亡くなりました。被服廠で一緒に働いていた人の証言は得られましたが、県からは救護の事実が確認できないと申請却下の通知が届きました。
 現場へ行く途中に見た街の様子、けが人、川に浮く死体などの記憶はあり、爆心地2キロ以内に入っているかも知れません。入市被爆ということで、あらためて申請できるでしょうか。

2014年「東友」2月号から

病院の会計に向かっているとき、体が動かなくなり、そのまま入院になりました。

 79歳、女性、広島被爆。夫はノーモア・ヒバクシャ東京第1次訴訟原告(86歳)。

 昨年11月に主人と二人でタクシーで病院に行ったときのことです。
 主人はがんの多発性肺転移で手術を受けましたが、また新しい転移がみつかりました。胸に水が貯まっているとのことでした。
 病院の会計に向かっているとき、私の体が動かなくなり、そのまま入院になりました。脳梗塞だったようです。家族を呼ぶように言われましたが、子どもたちとの連絡がなかなかとれなかったようです。
 この病院には、主人が検査を受けるので初めて行ったのですが、たいへんにお世話になりました。4日間、点滴を受けた後リハビリをつづけ、なんとか歩けるようになって、ほっとしています。もし車イスにでもなったら、主人と二人で老人ホームに……との思いが頭をよぎりました。
 主人は、認知症がすすんで、法廷で証言することもできません。東友会のみなさんには、ほんとうに申し訳なく思っています。タクシーを飛ばして、法廷に行けたらいいと思っていますが。