被爆者相談所および法人事務所
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「相談電話のこえ」 2013年

2013年「東友」11月号から

81歳の母と2人暮らし。母は足腰が弱ってきていて階段が不安です。

 81歳、女性。長崎被爆。娘さんより介護保険の利用についての相談。

 母と2人暮らしです。母は階段の上り下りもがんばっていますが、足腰が弱ってきていて不安です。介護保険を使って援助してもらうことはできないでしょうか。
 母は現在「要介護2」で、私が介護をして家族介護手当をいただいています。日ごろの家事は娘の私がいるのでヘルパーは入っていません。
 困っているのは、月に1回病院に行くとき、階段を使うときです。外に出れば車いすを使えますが、16段ある階段を降りなければなりません。母はゆっくりですが手すりと杖を使って、自力で上り下りしています。私が手を貸そうとすると「要らないことはしないで」と怒ります。でも、転げ落ちてしまわないかハラハラしています。
 ケアマネージャーは1階に引っ越すようにいうのですが、そう簡単に引っ越し先を見つけることはできません。生活保護を受けている状況ですので、お金を払って人を雇う余裕はありません。出かけるのは病院に行くときだけなのですが、介護保険と被爆者の制度で助けてもらえる制度はないものでしょうか。

2013年「東友」10月号から

いくつかの理由があって、被爆者の手当をもらっていませんでしたが…

 70歳、男性、長崎被爆。初めての手当の相談。

 私は今まで、被爆者の手当をもらっていませんでした。1.5キロで被爆しています。保健手当を申請できるでしょうか。
 今月から年金が下がることになり、老後のことが不安になりました。たまたま東友会から届いた資料を読んでいたら、被爆した距離によってもらえる保健手当があると気がつき、電話しました。
 若い頃は、原爆のせいで髪の毛が抜けたり悪い病気なったりするのではないかとずっと悩んでいました。こめかみに火傷の跡があり、若いのに額に深いしわがありました。妙に猫背だったり、胸のレントゲンを撮ると原因のわからない影があると医者にいわれていたので、結婚も無理と思っていました。
 それでも被爆者の手当を申請しなかったのは、幸い30代前半で結婚し、子どもができ、30代後半になっても目立った病気にならないので、自分は健康なんだと思えたからです。
 それに手当は病気でないと受けられないと思っていました。病気があって手当を受けていると子どもの結婚などに影響があるかも知れないとも考えました。また、手続きが面倒だと思い、手当はもらわないつもりだったのです。

2013年「東友」9月号から

私は要支援2で主人は要介護2。一緒に入れる老人ホームを探しています。

 80歳代、女性。老人ホーム入所についての相談。

 被爆者は老人ホームの料金に補助が出ると聞いて電話をしました。
 私は要支援2で主人は要介護2です。二人で都営住宅で生活しています。私が被爆していますから、子どもはつくりませんでした。二人とも身寄りがなく、頼れる人がいません。
 夫は先月、交通事故にあってから、ほとんど歩けなくなり、トイレにいくのもたいへんで、往診を受けています。私も膝と腰が悪く、ひとりで買い物に行くのが難しく、介護保険のホームヘルパーさんに買い物や力のいる仕事をしてもらって、やっと生活しています。
 二人だけで生きてきましたので、二人一緒に入れる老人ホームを探していますが、ケアマネージャーさんからは、有料の老人ホームは費用が高くて無理だろうと言われました。都営住宅の家賃は減免してもらっています。ケアマネージャーさんからは、生活保護を受けるように奨められましたが、ぎりぎりまで自分たちでがんばりたいと思い、申請しませんでした。
 私や夫の介護度では、被爆者の助成がある特別養護老人ホームに入るのは難しいのですね。どうしたらいいのでしょうか。

2013年「東友」8月号から

被爆三世の遺伝や健康被害など報告されているのでしょうか…。

 被爆三世への影響について、他県に住む被爆二世の妻から、携帯電話のメールで相談。

 義父が広島の2キロ近くで被爆し、後遺症に苦しみながら数年前に亡くなりました。被爆二世の夫は61歳です。健康上に問題ありません。私と夫は年が離れているので子どもは7歳です。夫の親族には申し訳なくて聞くことができませんが、被爆三世の遺伝や健康被害など報告されているのでしょうか。

 (相談員の返事を受けて)
 義父は数年前まで原爆のことは語りませんでした。その後夫から、8月6日が近づくと、みんな無口になったと聞きました。
 福島原発のことでは不安を持っていました。平和式典で被爆二世、三世ということばを耳にして、親族ではタブーになっていることなので、思い切ってお聞きしました。
 お返事を読んで、これから何がおころうとも、夫と娘とがんばりたいと思いました。お体を大切にお過ごしくださいませ。感謝とともに。

2013年「東友」7月号から

母の強い希望ですので、原爆症認定申請をしたいと思います。

 84歳、女性。広島被爆。原爆症認定申請を希望。別居の娘からの相談。

 マンションで独り暮らしをしていた母が、倒れているのをホームヘルパーさんが発見してくださり、5月末から入院しています。
 いろいろ検査した結果、肝臓に転移したガンが見つかりました。しかし、もとはどこで発生したガンかはわかっていません。昨年暮れから足が腫れていると言っていたのはガンのせいでした。母は抗ガン剤の治療は受けたくないといっています。
 母は広島の爆心地から700メートルのところで被爆し、ケロイドがあります。写真のフラッシュライトを受けただけで被爆のときを思い出し、しばらく具合が悪くなった時期もありました。父も入市被爆者で、18年前に肝臓ガンで亡くなりました。まだ67歳でした。
 60歳代半ばで父を亡くした母は、被爆者の会のみなさんに励ましていただいて、会に出かけるのが楽しみだったようです。母の強い希望ですので、原爆症認定申請をしたいと思います。

2013年「東友」5月号から

100メートルの違いで却下され、証言することもできず、夫は無念の思いだったと思います。

 被爆者の妻からの電話。夫:被爆当時4歳。広島3.6キロ被爆。5月15日多重ガンのため死去。享年72歳。

 ありがとうございました。大変にお世話になりました。7月に裁判を起こすことにしていましたが、とても残念です。
 弁護士さんが、裁判を起こすことが前提になれば、提訴前でも裁判所が病院に出向いて尋問できるからと交渉してくださり、その日程が24日になっていましたが、間に合いませんでした。
 弁護士さんと裁判所は連休明けで日程をあわせていただきましたが、厚生労働省が24日以前はダメだと言われたとのことでした。
 夫は昨年6月に胃と大腸と肺のガンが発見され、7月末に胃と大腸の手術を受けました。9月に肺ガンの手術をしましたが、胸の中のあちこちにガンが転移していて、ガンを切除できませんでした。その後は、抗ガン剤の治療をはじめましたが、だめでした。
 主治医は、「3カ所に別々のガンができるなんて原爆が原因だと思う」と言ってくださいましたが、100メートルの違いで却下され、証言することもできず、夫は無念の思いだったと思います。

2013年「東友」4月号から

被爆二世から、医療費助成申請の診断書を主治医が書いてくれないという相談が相次ぐ

 女性の被爆二世から。
  私は白内障で手術を勧められています。10年程前に右目の白内障の手術をした時は、東京都に被爆二世の医療費助成制度があることはまったく知りませんでした。
 今回、都から送られてきた「健康診断のお知らせ」を読んで、白内障も医療費助成の対象になっていることを知りました。申請書を取り寄せて、診断書を先生にお願いしたところ、「白内障は年齢から来る病気だから原爆とは関係ない」と言って書くことを拒否されました。残念ですが、ずっとかかっている病院なので医療費助成はあきらめます。

  男性の被爆二世から。
 高血圧や心臓の病気で医療費助成を受けようと思い主治医に診断書を依頼しました。ところが「こんな病気は誰でもかかる病気。診断書は書けない」と言われてしまいました。被爆二世の制度のことはまったく知らないようです。かかりつけの病院なので他の病院に変えるつもりはありません。医療費助成はあきらめるしかないのでしょうか。

2013年「東友」2月号から

転移ではない3つのガンを発症、被爆地点は原爆症認定基準と100メートルの差ですが…

 71歳、男性。広島被爆。原爆症認定の異議申立、裁判について。

 去年6月から相次いで胃ガン、大腸ガン、肺ガンが発見されました。それぞれのガンは転移ではなく、別々に発症したと言われました。胃と大腸は手術しました。肺ガンは肺全体に転移しているので手術で切除できず、抗ガン剤の治療を受けています。
 9月に原爆症の認定申請を出しましたが、1月30日に、厚生労働省の却下の通知がきました。3つのガンとも「原爆放射線に起因していると判断することは困難」と書いてありました。
 私が被爆した場所は、広島市古田町で被爆者健康手帳に3.6キロ被爆と書いてあります。厚生労働省の基準では、ガンの場合の被爆距離は「約3.5キロ」と書いてあります。100メートルというのは「約」の範囲ではないのでしょうか。
 厚生労働省の書類は、どういう理由で関係ないかという具体的なことは何も書いてありません。これで、どうして納得しろというのでしょうか。裁判をしたいと思います。力を貸してください。

2013年「東友」1月号から

ながきにわたり、東友会にお世話になりましたこと、心より厚くお礼申し上げます。

 76歳、男性。広島被爆。骨髄異形性症候群(白血病)のため死去。2010年3月原爆症認定申請、2011年6月却下、9月異議申立、2012年6月却下が取り消しとなり、申請から2年3カ月かけて認定される。妻から1月9日付けの手紙。

 寒中お見舞申し上げます。主人が昨年12月22日に天に帰りまして、喪に服しております。ながきにわたり、東友会にお世話になりましたこと、心より厚くお礼申し上げます。東友会は、私の日々の生きる力にもなりました。ありがとうございました。
 約6年もの間、入退院をくり返しながらも、先生をはじめ看護師さんたちにもよくしていただきました。
 また(原爆症の)認定に関しましては、すばらしい弁護士様、東友会のみなさまのおかげさまで成就させていただき、主人の生きた証となりました。
 ほんとうにたくさんの方々のお世話になり、生活させていただきましたことは、主人も私もいつも感謝しておりました。
 たいへん静かな、安らかな終わりでございました。