被爆者相談所および法人事務所
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「相談電話のこえ」 2010年

2010年「東友」12月号から

今になって被爆二世であるといわれても実感できず…

 75歳。男性。長崎被爆。父親の病気と介護について娘からの相談。

 父はこれまで、骨髄異形成症候群、慢性閉塞性肺疾患、慢性心不全など複数の病気を抱えてきましたが、被爆したことは家族にも話さずにきました。
 2009年になって、自分が長崎で被爆している事実を家族に打ち明け、被爆者手帳を取得。健康管理手当を受けることができました。
 しかしその後、病状が悪化し、認知症も出てきて、ほとんど寝たきりになり、家族介護手当を申請。認定を受けましたが、その1カ月後に亡くなりました。
 父なりの苦悩もあったとは思いますが、私も兄弟も、父が被爆者であったことはまったく知らずに今日まで生きてきたため、今になって自分が被爆二世であるといわれても実感できず、とても複雑な心境です。
 兄弟のなかには、生命保険加入時に親の被爆事実と自身が被爆二世であることを告知していないため、何かあっても保険金が支払われないのではないかと心配している者もいます。

2010年「東友」11月号から

原爆症認定申請をしようと思いますが、入市を証明できる人はいません…

 年齢不明。女性。広島市宇品町被爆。原爆症認定申請についての相談。

 私は船舶司令部で被爆しました。被爆者手帳に距離が4キロと書いてあります。被爆した後、貧血、甲状腺機能低下などの治療を受けてきました。48歳と52歳のとき乳ガンにかかり、両方の乳房を切除しました。
 80歳をすぎて、大腸ポリープを内視鏡で手術したらガンがみつかり、原爆症認定申請を出そうと思いましたが、4キロでは認定されないと聞いて止めました。後から、100時間以内に入市したことが証明されれば認定されると聞きましたが、どういう証明が必要なのですか。
 私は被爆から3日後に、一緒に筆生として働いていた友人に頼まれて、友人の家族を捜すために文理大あたりまで二人で行きました。でも、手帳を申請したときに、県の担当の人が、直接に被爆した場合は、入市のことは書かなくてよいといわれたので、そのことは書きませんでした。その友人は、亡くなりましたし、その友人以外に私が入市したことを証明してくれる人はいません。

2010年「東友」10月号から

被爆二世に原爆の影響はあるのでしょうか?

 88歳、女性。亡夫が広島の被爆者。子どもの病気についての相談。

 長男はガンで死亡、長女は足先から腰にかけて斑点が出てきました。親が被爆しているからでしょうか?
 被爆者手帳を持っていた夫は13年前に心不全でなくなりました。私たちは昭和23年に結婚しました。私は子どもが障害を持って生まれるのでは心配していましたが、幸い3人の子どもが無事に生まれました。
 ところが16年前に長男が胃ガンから腸・肝に転移し、父親より先に亡くなりました。長女は、夫の母親から斑点の原因は原爆のせいではないかといわれ、次に死ぬのは私かも知れないと不安がっています。次男は特に病気になっていませんが、被爆の話はまったく触れたがりません。長男の担当医は原爆との関係は何ともいえないと言っていました。長女の主治医は膠原病かも知れないと言っていますが、原爆との関係はわからないと言います。被爆者の子どもに原爆の影響はあるのでしょうか?

2010年「東友」9月号から

母親は要介護2。自宅で介護をしてきましたが、私自身が具合が悪くなり…

 75歳、女性。自身と両親ともに広島入市被爆。両親の介護と自分の病気についての相談。

 現在、父親は介護療養型の病院に入院中です。母親は要介護2で、これまでは自宅で私が介護をしてきました。しかし、私自身が具合が悪くなり、この先どうなるか不安です。
 私は大腸ガンで医療特別手当を受けながら、何とか母親の面倒を見てきました。母親は他人が家に入ることを望まなかったので、今までヘルパーは入れませんでした。このところ私自身が、ガンが転移して急速に身体が弱ってきました。
 母親のケアマネージャーと相談し、私自身も介護保険の手続きをしてヘルパーに入ってもらうことにしました。母親は嫌がるかも知れませんが施設に入ってもらうつもりです。でもすぐに入れる施設はなさそうです。当面はショートステイで預かってもらうなどしながら、私と一緒に自宅での介護を受けつつ入所の順番をまつつもりです。でも、私がどこまでもつか不安です。

2010年「東友」8月号から

肺ガンが見つかりましたが、手続きが大変と聞く原爆症申請は考えていません。

 85歳、女性、広島被爆。今後の生活についての相談。

 独り暮らしをしています。このたび、健診で肺ガンが見つかりました。これからの生活のことを相談しておいた方がよいと知人に言われ電話しました。
 私は20歳の時、広島の祇園で被爆し、翌日から救援のために市内に入りました。戦後、結婚をし子どもも産みましたが、夫も子どもたちもみな亡くなりました。
 5、6年前に甲状腺ガンにかかり手術をしました。そして先日受けたドックで肺ガンが見つかったのです。体調が悪くなり、地区の会は退会しました。
 もう高齢なので、手続きが大変だと聞いている原爆症の申請までは考えていません。健康管理手当は受けています。いま、介護保険で要支援の認定を受け、ヘルパーさんに来てもらっています。これから生活していく上で、こうした方がよいというようなことがあれば教えてください。

2010年「東友」7月号から

甲状腺機能低下、たびたびの肺炎…。資格取得を拒否されないかと不安です。

 被爆二世、女性。病気と資格取得にあたっての差別への不安で相談。

 甲状腺機能低下を示す値が10年ぶりに出て、T3、T4とも低下している状況です。薬を投与する範囲ではないとのことでしたが、具合が悪く、だるさなどいろいろな症状が出ています。姉は、20代のころ甲状腺のガン摘出手術を受けました。加えて、平成15年の冬から喘息にかかり、肺炎を度々起こすようになりました。肺炎は理由があると思うのですが…。このような状況で、何か被爆二世として申請できるものはないのでしょうか? ちなみに喘息の医療費助成は申請中です。
 それから、将来のこととして不安があるのですが、私はある資格を取得しようと思い、いま米国の大学の日本校で学んでいます。最終的なライセンス取得までにはいくつかの試験や実地勤務の経験が必要なのですが、被爆二世ということで米国のライセンスを拒否されたりしないかと不安を抱いています。
 最終的に面接があり、その時、被爆二世であることを聞かれたら何と答えたらよいのかなど、あれこれ考えると不安になってきます。

2010年「東友」5月号から

職場から突然解雇を通告されたという、被爆二世からの相談が続いています

 会社から突然、ひと月後で解雇といわれました。その上、解雇理由は自己都合にして欲しいといわれました。これでは3カ月間失業保険ももらえません。
 家賃の支払いにも困窮しています。私は独り暮らしで、片目が見えないので、新しい仕事を探すにも簡単ではありません。労基署に相談に行ったら、会社ともっと話しあうようにいわれましたが、会社は話し合いに応じてくれません。なんとか救援の手をお願いします。(62歳・女性)

 パートで働いていましたが、職場から即日解雇をいい渡されました。納得できず労基署に相談に行き調停の紹介を受けました。解雇手当を請求しましたが、会社は「弁護士をたてて争う」といってきました。
 被爆者だった母は、3年前多重ガンで亡くなりました、被爆二世のいとこも40歳でガンで亡くなりました。「もしかして私も」という不安を抱えながらも一生懸命働いてきたのにと思うと、会社のこんな仕打ちは納得できません。なんとかならないでしょうか?(42歳・女性)

2010年「東友」4月号から

原爆症認定の新基準で、私の腎臓ガンは認定になるとわかったのですが…。

 男性、78歳、長崎被爆。原爆症認定に関しての相談。

 2005年11月、私は腎臓ガンで出した原爆症認定申請を却下されました。その頃、被爆距離が4キロで翌日に入市したという条件では、裁判をしないとダメだと聞きました。
 2008年4月に新基準ができて100時間以内に入市しているので認定されることがわかり、10月に申請をだしました。しかし、申請から1年半も過ぎて、私が入市した証明や体験記を出すよう厚生労働省から照会がきています。
 被爆のことは隠したかったので、私が初めて被爆当時の体験記を発表したのは、新基準ができた後です。「被爆者手帳」を申請したとき、直接被爆者は被爆した場所にいたことの証明を出すようにいわれ、その後の入市のことは、問題にされませんでした。いっしょに入市した人は、10日過ぎた頃亡くなりました。それ以外に私が入市先で会った人など証明してくれる人はいません。腎臓ガンが再発し、入退院をくり返している身で、「被爆者手帳」を再び申請するような証人探しをしなければならないのでしょうか。

2010年「東友」3月号から

被爆者の身体のことをよく知る、信頼できるお医者様に診ていただきたいのです。

 女性、79歳。広島被爆。健康問題での相談。

 昨年の暮れ、甲状腺のあたりに固いしこりができていることがわかり、血液の検査やエコーなど、いろいろな検査を受けました。その結果、甲状腺の病気が疑われると言われ、かかりつけの医師から紹介された大きな病院で、また、血液やエコーなどの検査を受けました。
 病院の医師は、甲状腺機能の検査票の「抗体」が基準値の10倍以上あるとかいいながら「橋本病」という病気だと病名を書いてくださいました。いろいろ調べたり聞いたりして、「橋本病」という病気の症状がわかったら、かなり昔から思い当たる症状が出ていたことに気が付きました。
 私は長い間、消化器系の病気や高血圧の薬などを飲んでいますが、甲状腺の病気があると言われたのは初めてです。かかりつけのクリニックは医師がよく替わるので、不安で一杯です。被爆者の身体のことをよく知っている信頼できるお医者様に診ていただきたいのですが、どうすればいいですか。

2010年「東友」2月号から

手術後も障害が激しく、治療を要するとの診断。原爆症と認定されるでしょうか。

 男性73歳。長崎被爆。原爆症認定に関しての相談。

 被爆したとき私は7歳でした。右半身に大火傷を負い、右足を骨折しました。防空壕に避難した後、8月20日頃から新興善小学校に設けられた救護所に入り、9月末に一旦自宅に戻りましたが、激しい急性症状のため長崎医大に再入院しました。
 昭和20年10月21日付けの長崎医大のカルテには「帰宅後、肘関節痛ヲ訴ヘ3日間泣ケリ。全身ニ小豆大ノ紅斑生ジ、発熱アリ。ソノ後数日ニシテ右上肢一帯=浮腫状=腫脹ス」とあり、自動的運動不能、尿1日2回少量(50CCと判断)、腹部が膨満し腹水を認める、全身の関節に圧痛があり右腕、右顔面、下肢に火傷のびらんがある、と記入されています。
 私の右半身の火傷はケロイドになって、右足の骨折のために足の成長が止まりました。主治医は、成長が阻害された右下肢は手術を受けていても障害が激しく、治療を必要とすると診断されています。このような状態で、原爆症と認定されるでしょうか。