被爆者相談所および法人事務所
〒113-0034 文京区湯島2-4-4平和と労働センター6階
電話 03-5842-5655 ファックス 03-5842-5653
相談電話受付時間
平日 午前10時から午後5時、土曜 午前10時から午後3時

「相談電話のこえ」 2009年

2009年「東友」12月号から

脳梗塞は原爆症と認められないのでしょうか?

 男性63歳。広島、胎内被爆。病気により困窮、経済問題での相談。

 妻と娘の3人暮らしです。自営業ですが、病気療養中で実質無収入です。
 両親、姉も被爆し、父は私が4歳のとき事故死、母は21年前に心筋梗塞で亡くなりました。姉も心筋梗塞でニトログリセリンを頻繁に服用しなければならない状態です。私は20年来、脂質異常と痛風で通院治療を受けており、最近一過性脳虚血発作を起こし、脳梗塞も起こしていることがわかりました。これから入院をすることになり、医師からはおそらく手術になるといわれています。
 自営で翻訳業をしていますが、最近はほとんど仕事がありません。妻は外国人で、その連れ子の娘は大学受験を控えています。経済的にとても切迫しています。
 心筋梗塞は原爆症と認められるようになったと聞いていますが、脳梗塞は認められないのでしょうか。医療特別手当の受給か生活保護の申請ができないかと考えています。

2009年「東友」11月号から

被爆者の制度を使って生活の面倒を見てもらえるようなところはないでしょうか?

 女性、87歳、広島直爆。在宅生活困難となり、今後の生活について、実弟より電話相談。

 姉は独り暮らしでしたが、最近、足の骨折で緊急入院しました。医師から、今後は車いすでの生活になると言われました。
 姉は、結婚はしていませんが、これまで元気で病院にもほとんどかからずに生活していました。今度の入院で、手術をしてしばらくはリハビリをすることになっています。それでも高齢でもあり、独り暮らしに戻れるほどに回復するのは無理のようです。
 弟の私は関西に住んでいますし、都内にいるもう一人の弟も足腰に障害があり、私も弟も80歳を超えていて、いまの状況で姉を引き取って面倒を見ることは、とてもできそうにありません。
 姉の年金や貯金がどのくらいあるのかは、まだよくわかりませんが、そんなにあるとは思えません。
 被爆者の制度を使って今後の生活の面倒を見てもらえるようなところはないでしょうか?

2009年「東友」10月号から

ガンの末期、化学療法で通院中。安心して療養生活を送れる場所は…

 広島千田町直爆、男性、69歳。生活の場の相談。

 ガンの末期で、化学療法で通院しています。安心して生活できるところを探しています。
 私は肺ガンで原爆症の認定を受けています。入院は必要がないといわれ、退院してアパートで独り暮らしをしていました。病気が進行してきて不安になり、今は友人の1Kの住まいに同居してお世話になっています。しかし友人も親の介護に出かけており、ほとんど留守です。
 1人で居ると、今後のことを考え、面倒を見てくれる人がそばにいてくれないと不安になります。でも、友人の家にいつまでもお世話になっているのも心苦しいので、どうにかしないとと思い、あちこち相談に行きました。
 養護老人ホームではガンの人は入れないといわれました。介護保険の施設にも相談に行きましたが、やはりガンの人の面倒は見られないといわれました。ホスピスにもあたったのですが、こちらでは「まだホスピスに入るほどの末期ではない」といわれました。どこか安心して療養生活を送れる場所はないものでしょうか?

2009年「東友」9月号から

白血病でも、8月16日入市では原爆症認定が難しいのでしょうか。

 広島に8月16日入市被爆、男性、75歳。原爆症認定申請についての相談。

 骨髄異形性症候群で原爆症認定申請をしたいのですが、「積極認定」といわれる「100時間以内に入市」とか「100時間経過後から、2週間以内に1週間滞在した」という条件がありますが、どういう意味ですか。
 骨髄異形性症候群は白血病とほとんど変わらない病気だと聞きました。原爆との因果関係が強いと言われている白血病でも8月16日の入市では、認定が難しいのでしょうか。
 この病気の治療のために長く輸血を続けているので、血液の中の鉄分がなくなってしまい、主治医から、治療には1錠4000円の薬を1日2錠飲むことが必要だと言われました。この薬は健康保険が使えない新薬なので月25万円かかると聞いています。
 現在の生活では、これだけの負担をすることは、たいへんです。医療特別手当が受けられれば半額くらいの負担ですむと思って電話をしたのですが…。とにかく申請は出したいと思うので、関係書類を送ってくださいませんか。

2009年「東友」8月号から

戦争を賛美するような報道を見て落ち込んでしまいました…

 被爆二世、女性。母親が広島被爆。マスコミの報道についての悩みの相談。

 戦争を賛美するような報道を見て落ち込んでしまいました。こんな心の問題も聞いてもらえますか?
 被爆者であった母は昨年亡くなりました。被爆二世である私も体調がすぐれず入退院をくり返しています。これも親が原爆を受けたせいなのかと悩んでいます。
 8月6日のある新聞に、広島と長崎で二度被爆した人の事が紹介されていました。生後6カ月で被爆したその方の息子さんは一昨年亡くなったそうです。でもその記事を読んでも「可哀想な話」としか思えない内容でした。その翌日、その新聞で、今度は、戦艦や空母の模型を作っている人の事が取り上げられ、戦争を賛美するような記事でした。こんな時期におかしいと思い、新聞社に抗議の電話をしたのですが、はいはいと聞くだけで、私の気持ちはわかってもらえないようでした。あまりに悲しくてつらいので、こんな電話をしてしまいました。

2009年「東友」7月号から

一生懸命生きてきたのに、年寄りは死ねということなのでしょうか。

 86歳、女性。長崎被爆。税金についての相談。

 これまでは非課税でしたが、収入は変わらないのに今年から課税になり、たいへん困っています。役所に行って説明を聞くと、「税率が変わったから」と言われ、非課税には戻してもらえませんでした。
 私は要介護1の認定を受けています。同居の家族はいますが、障害者なので、私の介護はヘルパーに来てもらっています。これまでは非課税だったのでヘルパー利用料は免除されていました。課税になると7月からはヘルパー利用料は有料になります。
 介護保険料も後期高齢者医療保険料も値上がりしました。請求書を見たら、これまでの2倍近く支払わなければなりません。被爆者は医療費がかからないから保険料はたくさん取られるのでしょうか?一生懸命生きてきたのに、年寄りは死ねということなのでしょうか。

2009年「東友」6月号から

ずっといろんな病気で苦しんできました。原爆症として認めてもらいたい。

 80歳、女性、広島被爆。原爆症認定申請についての相談。

 私は16歳の時、爆心地から1.5キロメートルのところで被爆し、その後ずっといろんな病気で苦しんできました。原爆症として認めてもらえないでしょうか。
 被爆前はとても健康だったのですが、被爆してからはすっかり変わりました。10回流産や死産をくり返し、やっと生まれた子もすぐ亡くなりました。40歳の時、手に乗るような未熟児で生まれた子が、ただ一人の息子です。
 20年前に子宮ガンにかかり手術をしました。
  その当時、原爆症の申請をしようかと考えましたが、家族から、子どもの結婚などに差しつかえると嫌な思いするから原爆のことは話さない方がよいと言われ、しませんでした。
 でもその後、腎臓が悪くなり、硬膜下血腫、不整脈、脳梗塞も起こしました。子宮ガンの手術後の後遺症とかで片足が腫れ上がっています。
 こんなにいろんな病気になり苦しんできました。高齢になり残された時間も多くはありません。原爆症として認めてほしいと思います。

2009年「東友」5月号から

本人は認知症ですが、被爆は明らかに思えます。手帳は取得できますか?

 89歳、女性、広島被爆。介護の面倒を見ている知人から手帳申請の相談。

 本人は認知症のため当時のことを詳細に説明できませんが、これまで聞き出した状況から判断して被爆していることは明らかに思えます。被爆者手帳の取得はできますか?
 彼女は昭和20年当時、広島市塚本町の婚約者の実家・油屋の寮に住み込み、中区観音町にあった会社に勤務していました。8月6日朝、出勤のため2階の自室から階段を降りようとした時被爆。瓦礫に埋もれていた所を兵隊に助け出され救護所へ運ばれ簡単な治療を受けたそうです。
 その後、親切なご夫婦に数日世話になり、婚約者の親族の援助を受け兵庫の実家に戻りました。
 同年12月に結婚。広島を離れました。被爆者手帳の制度は知っていましたが、国からの援助を受けるのは本意ではないと申請はしませんでした。
 若い時は特に病気はありませんでしたが、近年になって腎臓病や喘息、そして脳腫瘍も出てきました。なんとか被爆者手帳を取得したいと、元の会社から在職証明書を発行してもらいました。当時の同僚の名前もおぼろげながら覚えています。しかし被爆後一度も会っていませんし、消息も不明です。夫も親族も他界して証人になるべき人が一人もいません。

2009年「東友」4月号から

つぎつぎとガンが出てくるのは、私には原爆が原因としか考えられません。

 広島被爆、89歳、男性。医師の甥から原爆症認定申請の医師意見書ついての相談。

 おじの主治医になってしまい、原爆症認定申請のための書類を書くことになりました。おじの病気と原爆の因果関係の記入についてうかがいたくて電話しました。
 おじは25歳のとき、爆心地から3.2キロメートルのところで被爆。その後も家族をさがして二週間ほど市内をさまよい歩いたそうです。
 戦後は比較的元気に過ごしていたようですが、5年前に大腸ガンが見つかり手術を受けました。昨年には皮膚ガンが見つかり移植手術をしました。ホッとしたのもつかの間、今年になって前立腺ガンがみつかり、治療中に今度は胃ガンと診断されました。本人は「俺はガンにはならない」と言って、ガンであることを受け入れられないようなので、まだ告知はしていません。しかし、妻であるおばの意向で原爆症認定申請をすることになり、主治医である私が、医師意見書を書くことになりました。
 おじの病気の「原子爆弾の放射線起因性」について、たたいてもたたいてもガンが出てくるのは、私には原爆が原因としか考えられません。しかし、医学的には証明できません。私の私見のままに書いてよいものでしょうか。

2009年「東友」3月号から

妻の母は広島県内で独り暮らし。介護手当はどう申請すればいいのでしょう。

 広島被爆、86歳、女性。娘の夫から介護手当の相談。

 私と妻は東京に住んでいるのですが、妻の母が広島県内で独り暮らしをしています。介護が必要になり、介護手当を受けさせたいのですが、近くに住む妻の兄弟たちは制度のことがわからず困っています。
 義母は夫が死んでからも一人で元気に暮らしていたのですが、2年前に脳梗塞で半年入院。退院後はホームヘルパーやデイサービスを受け自宅で生活していました。昨春に大腿部頚部骨折でまた半年ほど入院。リハビリを受けて自宅に戻ったものの、秋に大腸ガンの手術を受け年末に退院しました。
 かなり弱っており、今後どうしようかと妻の兄弟たちとも相談していますが、被爆者の制度については本人がすべて手続きをしていたようで兄弟たちは何もわかりません。
 義母は自宅での療養を望んでいます。介護保険は「要介護2」で、現在は週5日朝昼晩とヘルパーが来て、週2回入浴介助も受けています。しかし出費がたいへんだと兄弟たちは言っています。
 今回、私がたまたまホームページで東友会のことを知ったので、県は違いますが制度についてお聞きしているのです。こういう場合、どういう手順で介護手当を申請すればいいのでしょう。

2009年「東友」2月号から

被爆者の手当も初めて知りました。父は被爆のことは話したくなかったのだろうと…

 広島被爆、78歳、男性。現在、広島の特別養護老人ホームに入所中。手当受給について家族からの相談。

 暮れに父の家を訪問した地区相談員からお電話をもらって、被爆者の手当が受けられると聞きました。知り合いにも聞いたら、「特別手帳」を受けていたので保健手当か健康管理手当を受けられると言われました。
 父は広島の施設にずっと入所しています。東京にいたときも、被爆のことは聞いていません。被爆者に手当が出ることも初めて知りました。父はたぶん被爆のことは話したくなかったのだと思いますし、被爆者の知り合いとも連絡していなかったと思います。
 父は障害が重くて、東京にはもどれません。いま説明していただいたとおり、特別養護老人ホームに連絡して、健康管理手当の診断書を書いてもらえるようお願いしてみます。

相談所による補注

 この方の被爆距離は3キロでしたので保健手当の対象にはなりません。昭和49年9月まで被爆者手帳は「特別手帳」と「一般手帳」に区分されていました。「特別手帳」は2キロ以内で被爆した人に交付されていた時期もありますが、最終的には、入市被爆者や2キロ以上で直接被爆した人にも交付されていました。