被爆者相談所および法人事務所
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「相談電話のこえ」 2007年

2007年「東友」12月号から

いろんな病気がこんなに出てくるのは、原爆のせいだとしか思えません。

 84歳、女性、長崎被爆。原爆症の認定申請ができないかとの相談。

 私の病気は原爆症と認めてもらうことはできないでしょうか。
 私は、何年か前に脳梗塞を起こし、その後、心房細動、うつ病、糖尿病など次々といろんな病気が出てくるようになりました。今度は便秘がちになり病院に行きましたら大腸ガンかも知れないと言われました。
 私は、8月9日に原爆が落ちた日から約一カ月間、郊外の救護所で被爆者の救護に当たりました。全身の皮がずるむけたような人がたくさんやってきましたが、毎日何十人という人が亡くなっていきました。忘れられないのは、目がかゆいかゆいと言う人のまぶたを開けてみたら、中にウジ虫がびっしりいたのです。白い御飯を見ると思い出して、今でも体調が悪いときは食べられません。
 いろんな病気がこんなに出てくるのは、原爆のせいだとしか思えません。原爆症として認めてもらうわけにはいかないのでしょうか。

2007年「東友」10月号から

私も健康に不安を感じる歳になり、手帳を申請しようと思ったのですが…。

 広島被爆、女性、64歳。被爆者手帳申請の相談。

 兄3人は被爆者手帳を持っていますが、私だけ持っていません。今から申請できるでしょうか。
 私は2歳のとき、3人の兄、祖母、母と皆実町の自宅で被爆しました。父は東京で仕事をしていました。
 兄たちについては、早いうちに父が被爆者手帳をとったのですが、女の私は「結婚できなくなると困るから」と、申請してもらえませんでした。祖母はすでに亡くなり、母も手帳は申請しませんでした。
 でも、私も健康に不安を感じる歳になり、兄に勧められて手帳を申請しようと思ったのです。
 当時の私たちは、東京大空襲の後、疎開して広島の親戚の家を間借りしたばかりで知り合いはおらず、当時のことを知っている親戚はみな亡くなっています。
 当時2歳の私は全く記憶がありません。長兄はほとんど寝たきりで、当時のことを話したがりません。3番目の兄は当時5歳で被爆時のことは覚えていないそうです。2番目の兄だけが頼りです。こんな状況の私でも、被爆者手帳は認められるのでしょうか。

2007年「東友」9月号から

えっ。被爆者の医療費助成の方が、難病の人より有利なんですか。

 86歳の夫妻。夫妻とも広島被爆。老人保健施設(老健)に入所中の妻から夫の転院先の食事代の負担についての相談。

 難病医療費の助成を受ければ、お父さん(夫)の入院中の食事代が無料になると娘が聞いてきたので、きのう書類に判を押して渡しました。
 私は先月から老人保健施設に入りしばらく帰れないし、お父さんは「間質性肺炎」が悪くなり、酸素吸入を受けるようになって、老人病院に転院することになったんです。お父さんは、退院はできないと思うの。娘たちは結婚して遠くに住んでいるから負担はかけられないし…。
 この老人保健施設に払った私の先月分の費用は10万円くらいかかったんですって。お父さんにこれ以上お金がかかったら、生活できなくなるから心配で…。急いで申請しなくちゃと思っています
 えっ。被爆者の医療費助成の方が、難病の人より有利なんですか。病院の食事代は被爆者は無料なんですか。介護保険の施設では、被爆者も難病の人も施設の食事代や部屋代の助成はないのですか。それなら、お父さんの難病申請は意味ないですね。

2007年「東友」8月号から

原爆の影響が無いとはどうしても思えないのです。

 67歳、男性。長崎出身。被爆者健康手帳申請についての相談。

 私は昭和20年当時5歳。両親と7人の兄弟と一緒に北高来郡江ノ浦村に住んでいました。被爆者手帳がもらえる指定地域ではないところです。
 当時、父は三菱造船の総務課に勤務。9日はたまたま休みで家にいたのですが、10日からは被災した職場の後片づけなどで市内に出かけていました。その父は翌21年6月に亡くなりました。死因は急性肺炎ということでした。
 私は、20年8月の終わりごろから脱毛や下痢が始まり、足に力が入らず歩けなくなりました。そのときは赤痢といわれたようです。当時2歳だった弟は、身体が弱く、47歳で心臓弁膜症で亡くなりました。姉の一人は乳ガンで58歳で亡くなりました。
 幼い私や弟は、父に抱かれて寝ていました。毎日のように被爆地に行っていた父が原爆で汚染されていて家族に影響を与えたのではないか、父の死も原爆のせいでは無かったか―と思います。死んだ弟や姉、自分の身体のことを考えると、原爆の影響が無いとはどうしても思えないのです。

2007年「東友」7月号から

被爆者だけでなく二世・三世の実態をもっと調査して助成を充実してほしい。

 被爆二世の女性、53歳。被爆二世・三世への助成制度についての相談。

 3~4年前の肺ガン検診で肺に影があると言われ、毎年CTで追跡検査を受けています。被爆者健康診断の精密検査への助成は6518円までと言われ、CT検査はその額では足らないので、健康保険で受けています。自己負担分に約6000円支払っています。幸い、肺ガンという診断にはなっていないので、医療費助成は受けていません。今後も定期的に検査を受けなければなりません。精密検査への助成をもう少し増やしてもらえればと思います。
 被爆三世になる19歳の私の娘は、3年前に急性骨髄性白血病と診断されました。その後、闘病生活を送っています。高額療養費の制度を使っていますが、それでも100万円以上の医療費がかかります。
 私は5人兄弟ですが、妹は子宮ガンの一歩手前までなりました。弟は20代から糖尿病になりました。私たちの父が被爆したからかなと思ってしまいます。
 被爆者だけでなく、被爆二世・三世の実態をもっと調査して、健康診断や医療費の助成を充実してもらえないでしょうか。

2007年「東友」6月号から

決して丈夫ではない身体で私を育ててくれた母です。なんとかしてやりたい…

 被爆二世の女性。被爆者の母の介護についての相談。

 母親は83歳、広島県内で独り暮らしです。人に家に入られるのをいやがり、ヘルパーは入れたくないと言います。どうしたらよいのか悩んで電話しました。
 介護保険では、母は要支援2です。足腰が弱りよく転ぶようになったし、入浴中に亡くなったという人の話を聞くので一人でお風呂に入るのは怖いと言います。
 デイサービスで入浴させてくれるということは知っていますが、田舎なのでそういう施設はないのだそうです。足腰を鍛えてくれるようなリハビリの施設もありません。
 私が広島に帰って介護した方がよいか…とも考えるのですが、経済的にはとてもやっていけそうに思えず、不安です。
 被爆して決して丈夫ではない身体で私を育ててくれた母です。何とかしてやりたいとは思いますが、どうするのが一番よいのでしょうか。

2007年「東友」4月号から

被爆者の気持ちをわかってくださるお医者さんを紹介してもらえませんか。

 67歳女性。広島2.5キロ直爆。健康管理手当の更新のための受診についての相談。

 近所の病院にかかりたくありません。どこかよい病院はありませんか。
 私は5歳で被爆し、身体の3分の2を火傷しました。傷痕を見られるので半袖の服を着ることもできず、悲しい思いをしてきました。東京に来ててからも、職場や近所に被爆者であることが知られると、偏見を持たれるのが怖くて隠し続けてきました。
 あるとき、受診に行った近所の病院の看護婦さんが知り合いだったので、被爆者手帳を出さずに受診しました。その後は健康診断も近所の病院にはかからず、電車で遠くの病院へ行くようにしました。
 私は糖尿病で健康管理手当を受けているのですが、薬は合わないので食事療法や自分の努力で正常値を保っています。そのため、病院では診断書は書けないと言われました。私は足の関節痛もあり階段の上り下りが苦痛です。被爆者の気持ちをわかってくださるお医者さんを紹介してもらえませんか。

2007年「東友」3月号から

肺ガンが広がり入院することに。もうダメかも知れないね。

 久保玉子さん 79歳、女性。広島被爆。肺ガンの原爆症認定を求めて、集団訴訟に参加。3月22日の東京地裁判決への出廷について。

 肺ガンが4.2センチに広がったので、入院することになったの。先生は「放射線で焼き切ってやるから大丈夫」とおっしゃるけど。もうダメかも知れないね。
 まだ入院の日は決まらないし、車イスを用意してもらったから、判決を聞きに行きたかったけど、朝10時の言い渡しというのは、とても無理です。家からタクシーで行くにしても、都心は道が混むから時間の予測ができないから。ごめんなさい。応援してくださるみなさんに、くれぐれも、よろしくお伝えください。
 裁判を起こした頃は、東友会にも裁判所にも行けたけど、子宮ガンの手術を受けたあとは、すっかり体が動かなくなってしまいました。
 肺ガンのせいで、息が苦しくて、坂道はとても登れません。歩くのも辛くて、家で寝ていることが多くなりました。独り暮らしでしょ。さびしいですね。

2007年「東友」2月号から

年金額が下がり、生活ができません…

 64歳、女性。長崎被爆。収入についての相談。

 年金額が下がりました。生活ができません。一人暮らしですが、パニック障害があり、一人でいると不安で仕方がありません。とくに夜になると怖くてたまらなくなるので、毎晩一泊3000円で泊まれるお風呂屋さんで過ごしています。
 これまで、月14万円ほどの年金をもらっていました。ところが先日来た通知では、税金が増えて1万1000円ほど年金が減ることになりました。驚いて税務署に電話をして理由を尋ねたところ、お年寄りが増え若い人が減っているので負担が増えたというのです。
 以前、夜に怖くなって交番に駆け込み、朝までいさせてもらったことがあります。友だちに泊まってもらったこともありますが、仕事の都合で来られなくなりました。お風呂屋さんに泊まりに行くしかありません。でもこんなに年金が減ってはとても無理です。
 私は、被爆者だった母の面倒を見ながら必死で生きてきました。その母も今はいません。一人でやっと暮らしています。

2007年「東友」1月号から

伯母が、「東友会なら相談に乗ってくれる」と言っていたので電話しました。

 76歳女性。広島被爆。今後の生活について、世話をしている姪からの相談。

 二人の伯母は、どちらも被爆者で、姉妹で暮らしていました。先日、妹の方の伯母が亡くなり、残った姉の方の伯母の生活が不安です。妹の方がしっかりしていて姉の面倒を見ていました。姉のために貯金を積み立てたり、借金の尻ぬぐいをしたり、自分もガンの末期で苦しいのに姉のことを気遣いつづけていました。両方の伯母とも子どもはありません。亡くなった伯母から、一番身近な身内である私に「後は頼む」とすべてを託されました。
 残された伯母も「あんたに頼むよ」と言うのですが、誰にも言っていない借金があるかも知れず、今後のことについて自分で考えている様子も見受けられません。
 認知症かうつ病も出ているようで火の始末も心配ですが、私は遠くに住んでいるので、頻繁に様子を見に行くことは簡単にはできません。
 亡くなった伯母の後片づけなどでまだ頭がいっぱいなのですが、残された伯母のことも急いで考えなければと思うとパニックになってしまいそうです。亡くなった伯母が、「東友会なら相談に乗ってくれる」と言っていたので電話しました。