被爆者相談所および法人事務所
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【連載】 現場から見る東友会相談所の40年
相談員 村田未知子

第5回 「死者と共闘」した運動

 1983年から日本被団協は、被爆者運動の「憲法」と言われる「原爆被害者の基本要求」策定の作業を当時の日本被団協事務局次長だった吉田一人さん(長崎被爆)を中心に開始していました。この年の秋から、全国で開かれた日本被団協中央相談所の講習会や東友会も入る関東甲信越ブロックの会議で、「基本要求」の1文字1文字について意見が交換されました。

  • あの原子野で、子どもを亡くした。遺体も遺骨もみつけられなかった。
  • 助けを求める家族を見捨て一人で逃げた。
  • 燃える建物の下から手が出ていた。助けを求めていたと思うが、見ないようにして逃げた。
  • 救護所で一緒にいた人が翌朝は亡くなっていた。せめて名前だけでも、聞いてあげればよかった。

 被爆から40年近く過ぎても被爆者の心に突き刺さっている被爆当時の苦悩がナマに語られ、その後の不安も話されました。

  • 重傷だった私と母を看護していた妹が、翌年の3月に亡くなりました。何のまえぶれもなく、「疲れた」とだけ言って、眠るように死にました。
  • 同窓会の知らせがくるとイヤだった。必ず誰かが亡くなったという知らせが入っていた。だから、同窓会には参加していない。

 「基本要求」を策定していく会議のなかで私は、信仰もイデオロギーも超えて被爆者が手をつなげるのは、あの地獄の惨禍を知るからこそだと感じ、被爆者運動は「死者と共闘した運動」だと確信しました。

調査で深まる相談事業

 東友会が受けた年間の相談件数が年間1000件以上増えた年が10回以上あります。増えた年にはそれぞれ運動の高揚や制度の大きな改正がありました。
 その最初が1985年度でした。この年、東友会は全国の被爆者とともに「原爆被害者調査」にとりくみました。東友会が集めた調査表は1359人、39区市町に住む被爆者が参加し、被爆者を訪問して聞き取りをする調査員として134人の非被爆者を含む312人が活躍しました。当時の東京在住被爆者の1割以上を訪問して調査したのです。
 東友会には、毎日、調査員から電話が入りました。「手当を受けていない人です。電話してください」「訪問したら相談されたのですが、東友会で受けてくださいますか」。
 この年の相談件数は、前年度から130パーセント増えました。東友会の相談件数の増加率としては、被爆者援護法が施行された1995年度と介護保険法が施行された2000年度につぐものになりました。

病院のベッドで寝ている人と、ベッドの横に立っている訪問者2人。
1980年代におこなわれた被爆者訪問の事例(写真は江戸川区)