被爆者相談所および法人事務所
〒113-0034 文京区湯島2-4-4平和と労働センター6階
電話 03-5842-5655 ファックス 03-5842-5653
相談電話受付時間
平日 午前10時~午後5時、土曜 午前10時~午後3時

【連載】 現場から見る東友会相談所の40年
相談員 村田未知子

第1回 運動の「支柱」は相談活動

 「原爆被害への国家補償と核兵器廃絶は被爆者運動の両輪」「両輪の支柱が相談活動」。40年前の東友会役員は、口をそろえてそういい、相談員を支え励ましました。これは、結成65年となる東友会運動のなかで、積み上げられてきた実績だと確信しています。
 私(村田)が東友会に勤めたのは1982年。この年11月、東友会は結成25年史『首都の被爆者運動史 東友会25年の歩み』を刊行しました。その中に、こんな記述がありました。
 「これは第2代事務局長、小島先生(小島利一さん)の口ぐせでしてね。一人ひとりの被爆者をたいせつにしろという指示もあり、わたし自身も都の社会生活学校でケースワークの勉強を少ししましたから、多少のお世話をさせてもらいました」。東友会結成の9カ月後に就任した最初の事務局員・川島恭子さんから聞いた話として、『25年史』を著した伊東壯会長代行(当時)が紹介しています。
 東友会は、結成の20日後の第1回理事会で、被爆者専任のケースワーカーを置くよう都議会に要請すること、地域の被爆者の会が被爆者の健康と生活の状況を把握することを確認しています。『25年史』には、施行されたばかりの原爆医療法を生かすために、都内の医療機関を訪問して交渉をしたことも記録されています。

美濃部都知事(手前左側)に要請する東友会の代表たち(1967年5月30日)

積み上げられた信頼関係

 2004年に東友会は、「被爆者運動とは何か 地区活動の手引き」(A5判31ページ)を発行しました。企画は、発行の前年に亡くなった田川時彦会長。田川さんは、私が東友会に勤め始めたときの事務局長でした。
 田川さんは生前に1965年頃から書きためていたメモを見せて、その柱にそってパンフレットにするよう私に指示していました。「手引き」が地区の会の活動で最も大切だとしているのは相談活動です。次のようにあります。

  1. 地区の会づくりの基本=戸別訪問
  2. 被爆者共通の願い=健康と医療・介護
  3. 励まし支え合う基礎=地区相談員の活動

そして、巻頭には、「こんな会づくりをねがって」という田川さんが書いた文章があります。

  1. 被爆者一人ひとりが、要求を出して立ち上がり、みんなで行動していく会にしたいと考えます。
  2. 被爆者がお互いに、苦しみを語り合い、助け合い、励まし合い、学び合い、生きがいをみつけていく会にしたいと思います。
  3. 被爆者の会があってよかったと、みんなにいわれるような、温かい、心のつながりのある会づくりを願っています。

新連載の開始にあたって

 東友会原爆被爆者相談所が受ける相談は年間1万数千件。東友会の事業の中心といってもいい大切な事業です。対応する東友会相談員は、事務局としての仕事もこなし、多忙をきわめています。それでも、あまり愚痴をこぼさず、体も壊さず、「東友会にきたら太ったね」といいながら、長い人は40年近く、10年以上も頑張っている人もいて、被爆者や被爆二世相談に対応しています。
 「東友」の連載について検討していた4月の広報委員会で、「村田相談員が東友会に勤めて来年(2022年)40年になるなら、東友会相談事業の40年について連載を書くべきだ」という提案があり、「似顔絵を描くよ」という発言も続き、この連載が決まりました。
 40年前の1980年代、世界各地で反核運動が拡がり、被爆者はこの運動に参加しながら、国家補償の被爆者援護法の制定を求めて大きな運動を展開していました。多くの役員が現職で、平均年齢は50歳代でした。
 この当時から現在までの40年間の東友会相談事業と運動について、1年間の連載で紹介してもらいます。