被爆者相談所および法人事務所
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被爆者が国に問うこと 山本英典顧問に聞く
第10回 原爆死没者一人ひとりを見すえて

 1990年5月、厚生省が被爆40年に実施した死没者調査の結果を発表しました。この調査は、国家補償の原爆被爆者援護法実現には死没者調査が不可欠だと要求した被爆者の運動と、厚生省の調査委員となった東友会の伊東壯会長(当時・山梨大学教育学部長)の努力の賜でした。
 発表では、調査から判明した死者は29万5956人、うち2万5190人は未解明であるとされ、1991年現在の死没者数は33万225人であるという数字だけ。プライバシーを侵害するとの理由で死没者の氏名は伏せられました。
 「学んで行動し、行動して学ぶ」がスローガンの東友会は、長年被爆者の生活史を調査してきた著名な社会学者・石田忠さん(一橋大学名誉教授)を迎えた学習会を10月に開催。石田さんは、「基本懇」の「受忍論」を厳しく批判し、ジュディス・ミラーさん(ニューヨークタイムス編集長代理)がアウシュビッツのホロコーストについて著した書籍の題名から、「死者それぞれ全部に名前があり、一つひとつの人生を生きていた」と語り、数字だけでは決して被害の実態を表せないことを知らせました。
 「東友会が原爆死没者名簿を公表しよう」。東友会には原爆犠牲者慰霊碑の過去帳に記載された1965年から1991年まで26年間の名簿がありました。当時の田川時彦事務局長のひらめきが1991年に事務局長となった横川嘉範さんに引き継がれ、7月に挙行された原爆犠牲者慰霊祭の日に『われら生命もてここに証す』(B5判44ページ)と題した原爆死没者名簿が刊行されました。
 巻頭言以外は、村田未知子事務局員が過去帳の申し込み書にある氏名、性別、死没年月日、享年、死没地、死因などをパソコンに打ちこんだデータをもとに、死没者1人を1行に掲載した表だけのものでしたが、掲載した1050人の死因欄には、「爆死」、「圧焼死」、「全身火傷」、「急性原爆症」、「行方不明」が圧倒的に多く、つづいて白血病、各種のがんも多くあり、被爆者がどのように命を奪われていったを如実に表していました。この名簿は、毎年追記して刊行しましたが、プライバシーを侵すとの東京都の指導により、94年で終了しました。
 つぎに東友会は原爆死没者の記録『平和への遺言』を集めようと、協力を呼びかけ、東友会結成35周年の93年に『被爆者の死と生』の表題で刊行しました。
 編集を担当したのは、米内達成広報委員長、村田事務局員と私(山本)。出征中の父以外の家族全員を広島で失った遺族でもある米内さんは、毎夜、東友会事務所で作業にあたり120人の『平和への遺言』の整理をほぼ一人で担当しました。

「地方分権確立推進本部」の札のかかった部屋の前に集まり、都議を取り囲む被爆者たち
1050人分の死没者名簿を掲載した1991年版の「生命もてここに証す」