被爆者相談所および法人事務所
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被爆者が国に問うこと 山本英典顧問に聞く
第6回 日本被団協の原爆被害者調査

 『原爆被害者の基本要求』の実現をめざして日本被団協は、世論を広げる運動と並行して、調査によって被爆者の実態と願いを明らかにし、政府に法制定を迫る運動をすすめました。
 『基本要求』発表の翌1985年10月、世論におされた政府は、長年被爆者が要求してきた原爆死没者調査を含めた調査を、当時の被爆者健康手帳所持者36万人全員を対象に、国勢調査にあわせて実施し77%が回答しました。しかし、原爆死没者の遺族や手帳の申請をためらっている被爆者などが対象から外され、被爆後の健康や生活の実態も調査項目に含まれなかったため、日本被団協は1985年11月に1万人を目標に独自調査をおこなうことを決定。調査には1986年3月までに全国1万3179人が回答しました。
 東友会は、11月に調査の学習会を開き、政府の調査では明らかにできない「くらし」「からだ」「こころ」の被害を明らかにさせようと奮闘。312人の被爆者と支援者が協力員として訪問したり電話をかけ、「推進たより」も発行して、全国の1割にあたる1359人の調査票を回収しました。この中には、被爆者でない遺族24人の回答もありました。
 調査も被爆者地区の会と会員の被爆者とのつながりを強め、白内障のため視力を失った被爆者の回答を調査員が聞き書きしたものもありました。調査のなかで、港区と日野市の会が再建・結成されました。
 杉並光友会の尾崎守夫会長(当時)は、集めた92人の調査票を分析し、報告集を発行しました。平均年齢が63歳だったこと、うち20%が独居であり、77%が入院または通院中、最高で10種類の病名を挙げた回答者がいたことを紹介。さらに、92%が核兵器を使うことは、たとえ戦争であっても許されないと回答し、国家補償の被爆者援護法制定を95%が求めていること、90%が被爆体験を記入したことも発表しました。東友会の会計監事でもあった尾崎さんは技術者で、原爆模型の実物大風船をつくったりする多彩多芸で知られた人。東友会や地区の会の役員がそれぞれの個性を活かし、東友会の多様性に満ちた活動を支えていました。
 10区市では医療関係者が調査員となり、被爆者の健康管理に大切な協力者が生まれました。84年に再建された大田・大友会は、85年6月から大田病院の協力で被爆者集団健診を年2回実施し、当時500人近くいた区内の被爆者の20%が健康診断に参加しました。調査が始まった85年11月は2回目の集団健康診断。担当医の向山新医師をはじめ、保健師や看護師、ソーシャルワーカーが調査員となって協力。調査と集団健診の関連で、その後5年間で手当受給者を100人以上増やし、受給率を16%広げるという実績を上げました。この最初の健診後の懇親会で「きょうは心の中まで診てもらった」という被爆者の発言は、今でも紹介されています。

1988年発行の被団協調査の報告・資料集(全4冊)。この調査で初めて明らかになったことも多く、極めて詳細な内容を持つ歴史的に重要な資料です。