東友会結成60周年 被爆者の根本的な願いは揺るがず

 73年前の広島・長崎の「原子野」で、誰が今の日本を想像できたでしょうか。放射線による急性症状でたおれていく人びとを見て、誰が73年間も生き続けられると思ったでしょうか。
 東友会は2018年11月に結成60周年を迎えます。
 東京に住む被爆者の平均年齢が81.3歳となったことから、東友会は「おそらく最後の周年事業になる」と考え、11月18日(日)に記念式典と祝賀会を開き、この日に「結成60周年記念誌」を刊行する準備をすすめています。

東友会の結成から現在まで

 東友会が結成されたのは1958(昭和33)年11月16日。港区芝にあった日本赤十字社本社講堂で第1回総会を開きました。
 被爆者に対する初めての法律「原爆医療法」がこの前年4月に公布されています。この法律によって、「被爆者健康手帳」が発行されることになりました。
 東京都の資料によると、東友会結成当時、都内に住む「手帳」を持つ被爆者は1256人。最高時は30年後の1988年3月末、10倍の1万365人でした。さらに30年後の2018年3月末には5203人に減りました。

被爆者の制度の前進

 この60年間の被爆者に対する施策の変遷をあらためて振り返ると、大きな前進が見て取れます。
 「手帳」所持者への健康診断のみだった制度を、「手帳」所持者全員の医療費助成、各種手当の支給と所得制限の撤廃、各種手当支給の対象となる病名や被爆状況の拡大、介護保険の一部のサービス費への助成などへと広げることができました。国立の原爆死没者の追悼施設を設置させることもできました。
 東京都に被爆者援護条例を制定させ、介護手当への上乗せや被爆二世施策など独自の制度を実現させました。

たすきを掛け、旗を持つなどしてあるく被爆者たち。背景に国会議事堂が写っている
国家補償の被爆者援護法を求め国会請願デモ行進(1990年10月24日)

法的根拠の前進

 法律による被爆者の位置づけも、「被爆者が今なお置かれている健康上の特別の状態にかんがみ、国がその健康の保持及び向上をはかることを目的とする」(原爆医療法第1条)から、「その福祉を図ることを目的とする」(1968・昭和43年施行 原爆特措法第1条)に、さらに「国の責任において、高齢化の進行している被爆者に対する総合的な援護対策を講じ、あわせて国として原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記するため、この法律を制定する」(1995・平成7年施行 被爆者援護法前文)まで深めていくことができました。

自身の努力と支援者の協力

 これらの成果は、核兵器廃絶と平和を願う人びとに支えられた被爆者運動のなかで勝ち取られたものでした。
 多くの被爆者が老い、病弱化しています。しかし東友会は、先達から引き継いだ「ふたたび被爆者をつくらせないために」のスローガンをしっかりと掲げ、いまだ実現していない原爆死没者への国家補償を求め、核兵器の完全禁止と廃絶、戦争を決して起こさせないために運動を続けたいと考えます。
 これらの運動のためには、先達の運動の成果をすべての被爆者が生かせるよう相談事業を強め、被爆者の願いを集め、実態をつかんでいくことにしています。
 みなさんのご理解と大きなご支援をお願いいたします。

「原爆と人間展」の看板の向こう、パネルをかけたついたてが並べられている。パネルには写真や被爆者の描いた絵と文章。親子連れを始め会場を訪れた人たちも写っている。
原爆展を開き実相普及(1999年)
しつらえられた祭壇に花が供えられている。手前には椅子が並べられ、参列者が着席している。
東海寺内の木碑前で慰霊祭(1965年)