被爆者の悩み、願い、そして生き様 大手妙子さんの訃報から

 「私に何かあったら、私のこと全部知らせてもらっていいよ」。北区に住む大手妙子さんは、東友会相談員にこう話していました。2017年6月17日、その大手さんの突然の訃報が届きました。大手さんは15日に自宅内で遺体で発見されました。検死の結果、12日頃、転倒したことが原因で頭を強打し亡くなられた可能性が高いことがわかりました。享年86歳でした。
 五島列島で育った大手さんは、長崎市の三菱兵器大橋工場で14歳のとき被爆。大手さんの被爆距離は0.7キロでした。翌日に徒歩で道ノ尾駅まで避難し帰島。後に激しい血性下痢、発熱に苦しみ、頭の傷は化膿して1年くらい治らず、頭髪も生えずに頭巾をして隠していました。
 「避難するとき、燃える家の前で、『お母さんが下にいる。助けて』と子どもが泣き叫んでいました。でも自分のことが精一杯で、何もしないで逃げたことを、今でも悔やんでいます」。そう話していた大手さん。
 娘時代に「原爆が歩いている」と言われ、縁談もいくつか破談になり、「どんな子が生まれるかわからない」と言われて、好きな人とも引き裂かれました。
 亡くなった夫には被爆のことは隠して結婚。子どもはできず独り暮らしを続けていました。
 「被爆のことでは、いろいろ言われました。どんなにひどく言われても、私が悪いんじゃない、好きで原爆に遭ったわけではないと思って生きてきました」。
 大手さんが、2005年5月に原爆症認定申請をした皮膚がんは12月に認定されました。しかし2011年6月に申請した狭心症は半年後に却下されました。「国にきちんと責任をとってもらいたい」と大手さんは、不服申請を出し、4年半後の2015年12月に狭心症も原爆症と認定させました。