「相談電話のこえ」から

2012年「東友」12月号から

私と姉は一緒に被爆したのに、どうして私だけ手帳がもらえなかったのでしょうか。

 77歳男性。長崎被爆。被爆者手帳の申請についての相談。

 姉といっしょに、疎開先の西彼杵郡矢上村現川名で被爆したのに、なぜ私には被爆者手帳を発行してもらえないのでしょうか。
 いっしょに被爆した姉は千葉県に住んでいて、現在は、病気があって被爆者手帳に切り替えてもらっています。
 実は12年前に、東京都に被爆者手帳の申請をしました。でも、被爆者手帳の認められる範囲ではない、健康診断だけ無料になる証明なら出せるといわれて、その申請書を渡されました。私はガッカリしてしまって、その後なんの手続きもせず、その申請書も放置していました。
 ところが昨年、脳梗塞を起こし、今もリハビリを続けなければならないようになってしまいました。
 そんな私を気遣って、姉から「あなたも被爆者手帳をもらいなさい。私はもらっているのよ」と言ってきたのです。私と姉は同じ状況で被爆したのに姉は手帳をもらえていて、私はどうしてダメだといわれたのでしょうか。

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2012年「東友」11月号から

医療特別手当をさかのぼって受けられることになりました。すでに支給された生活保護はどうなりますか。

 73歳。男性。長崎被爆。医療特別手当と生活保護について。

 先日、原爆症の認定申請が認められ、医療特別手当を半年ほどさかのぼって受けられると聞きました。
 実は、私は生活保護を受けています。医療特別手当との関係はどうなりますか。
 私は妻と二人暮らしで、妻の年金が入るため、生活保護は家賃の7万円くらいです。ですから、生活保護は辞退しようかと思っています。

相談員の回答

 6月号でも同じ内容の相談をこの欄で紹介しました。この方は、医療特別手当が振り込まれる前日に生活保護を辞退したので、さかのぼって支給された60万円ほど手当から返還することは求められず、本人の収入になりました。
 2008年2月以降、同じような相談が5人からありましたが、さかのぼって支給された分を返還することになった事例はありません。
 区には東友会からも連絡しますが、もし返還するように通知がきたら、東友会に連絡してください。

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「東友」で二世の制度を知りました。毎月通院している病気がありますし、さっそく申請したいと思います。

 51歳、男性。父が長崎被爆。被爆二世の制度について。

 亡くなった父の遺品を整理していて東友会の新聞が目にとまりました。パンフレットも入っていて、被爆二世の私も健康診断や医療費助成が受けられると書いてありました。
 いま毎月通院している病気がありますし、さっそく申請したいと思います。
 千葉県に住む姉には、東京のような追加施策(ガン検診、医療費助成)はないのですね。でも今後のことを思えば、姉も県に連絡して二世の申請をするように話したいと思います。

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2012年「東友」8月号から

父が亡くなりました。介護保険を使った分は払い戻しを受けられると聞いたのですが…

 47歳、女性。父が長崎被爆。介護保険制度について。

 父が亡くなりました。1年間、老人ホームに入っていました。介護保険を使った分は払い戻しを受けられると聞いたのですが、介護付有料老人ホームの費用には、被爆者の助成はないのですね。
 それでは、いま教えていただいた葬祭料の手続きと私の被爆二世の制度を申請したいと思います。原発事故の後、被爆二世ということに不安が強まっていました。ガン検診はぜひ受けたいと思います。東京在住なら医療費助成も受けられると聞いて、少し安心しました。

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「東友」で二世の制度を知りました。毎月通院している病気がありますし、さっそく申請したいと思います。

 51歳、男性。父が長崎被爆。被爆二世の制度について。

 亡くなった父の遺品を整理していて東友会の新聞が目にとまりました。パンフレットも入っていて、被爆二世の私も健康診断や医療費助成が受けられると書いてありました。
 いま毎月通院している病気がありますし、さっそく申請したいと思います。
 千葉県に住む姉には、東京のような追加施策(ガン検診、医療費助成)はないのですね。でも今後のことを思えば、姉も県に連絡して二世の申請をするように話したいと思います。

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2012年「東友」7月号から

詳しいことは覚えていませんが、被爆者手帳の記載をきちんとしたいと思います。

 70歳、男性。長崎被爆。被爆者手帳に記載された被爆状況についての相談。

 被爆者手帳は、第2号、8月12日入市と記載されています。昭和50年代の手帳には「大黒町」入市、平成になってからは「高尾町」入市とされています。手帳が受けられるのは原爆投下から2週間以内に2キロメートル以内に入った場合と聞いています。高尾町は1.2キロぐらいですが、大黒町は長崎駅の近くで2キロ以内ではないです。
 当時3歳だった私は他界した母と一緒に被爆したと聞いています。長崎市が出した母の被爆者手帳には、長崎市本紙屋町爆心地から3.1キロと書いてありました。私は家庭の事情で、母の助けが受けられなかったので、叔母から聞いた話を頼りにして自分で被爆者手帳を申請しました。
 申請したのは昭和43年、もう44年が過ぎましたので、詳しいことは覚えていませんが、被爆者手帳の記載をきちんとしたいと思います。どうしたらいいでしょうか。

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2012年「東友」6月号から

医療特別手当が収入として認定され、その間受けた生活保護を返すことになる、と…

 74歳女性。長崎被爆。医療特別手当と生活保護についての相談。

 去年12月に申請した原爆症認定が認定され、医療特別手当が振り込まれることになりましたが、市役所の担当ケースワーカーが12月分から医療特別手当を収入として認定することになるので、その間受けた生活保護を返すことになると言います。どうしたらいいでしょうか。

相談員の回答

 同じ市に住む被爆者が2008年2月に認定されたときは、医療特別手当が振り込まれる直前に生活保護を辞退しました。このため、さかのぼって支給される1年半分の手当は支給時の収入とされ、生活保護費を返すことにはなりませんでした。あなたの場合も同じ条件にあると思いますので、市役所のケースワーカーに連絡します。

その後の経過

 東友会は市のケースワーカーに医療特別手当を収入として認定するとの見解を示した東京都の保護係に連絡し、厚生労働省の保護係にも連絡して、認定された時期で差別されることのないよう要求していますが、9日間過ぎても回答がありません。

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2012年「東友」3月号から(原爆症認定について2件)

1年以上待たされた却下通知には具体的なことは何一つ書かれておらず、納得できません。

 81歳男性、長崎被爆。

 厚生労働大臣から原爆症の認定申請を却下するという書類が届きました。どうしたらいいでしょうか。
 私は、3キロの場所で被爆して、その後は浦上に入って作業もしました。厚労省の基準では3.5キロ被爆や100時間以内の入市は認めると書いてあり、甲状腺機能低下症は対象の病気になっていました。
 通知には「医学的知見」とか「経験則に照らし総合的に検討」とか書いてありますが、具体的なことは何一つ書いてありません。80歳の被爆者を1年以上も待たせて、これはないと思います。どうして認めないのか、それを説明するのが政府の仕事ではないのでしょうか。納得できないから異議申立や裁判をしたいと思います。

甲状腺機能低下症の治療中。8月6日に広島に入市したのに、却下されました。

 91歳女性、広島被爆。

 甲状腺機能低下症の治療を受けていれば原爆症と認定されると聞いて出したのに申請が却下されました。
 私は被爆したのは広島の郊外ですが、紙屋町あたりに建物疎開で動員されていた知り合いを捜すため8月6日から市内に入りました。
 4日以内に入った者はいいと聞きましたが、どうして認められないのでしょうか。年を取りましたし、老人ホームに入っていて外に出られる状態ではないので、もうあきらめようと思っています。

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2012年「東友」2月号から

友人と3人で、ずっと一緒に助け合って生きてきました。一緒に施設に入れないでしょうか?

 84歳女性、広島直爆。施設入所についての相談

 友人と3人で同居しています。3人で一緒に施設に入れないでしょうか?
 私は、爆心地から2.5キロメートルで被爆し、両親を失いました。戦後、幼なじみの同級生、広島で付き合いがあった引き揚げ者の年上の友人と3人で上京しました。昭和27年頃から、年上の友人のツテで都営住宅に入り、3人でいっしょに暮らすようになりました。以来60年近くも一緒に助け合って生きてきました。年上の友人は私たち二人を妹か子どものように世話をしてきてくれました。
 最近、年上の友人に認知症の症状が出ました。もうひとりの友人は心臓の発作や転んで骨折したりで入退院をくり返しています。私も足腰が弱ってきました。エレベーターのない3階なので、買い物に行くのもたいへんです。
 ケアマネージャーさんたちは認知症の出てきた友人を施設に入れた方がよいのではないかと勧めてくれます。でも、ずっと3人で暮らしてきたので別々になるのはとてもつらいです。
 私も今は入院していますが間もなく退院します。補装具をつけて手すりにつかまれば階段を上がれるようになりました。3人とも介護のお世話にならないといけないのですが、これまでのように暮らすことは難しいようです。なんとか3人いっしょに入れる施設はないものでしょうか。

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2012年「東友」1月号から

人のお世話にはなるまいと必死で働いてきました。何年も前から足が痛かったのですが…

 77歳女性。広島被爆。生活相談の電話。

 足が痛くて、動くこともままなりません。
 私はこれまで、人のお世話にはなるまいと必死で働いてきました。何年も前から足が痛かったのですが、生活のために働くことに懸命で健康診断はもちろん、医者にかかったこともありません。同居の息子も朝早くから夜遅くまでの仕事で、私の世話をやくどころではありません。
 一昨年、足の痛みが激しく、出血で部屋中血だらけになるほどになり、救急車で入院しました。病院では"糖尿病のために足が壊疽を起こしている、足を切断するしかない"といわれました。私は"足を切るくらいなら死んだ方がましだ"といって拒否しました。
 7カ月後に退院し、近所の姉の家に世話になっています。姉も高齢なのでいつまでも世話になっているわけにはいきません。自宅に戻らないといけないのですが、部屋は2階にあり、帰ったら買い物にも行けません。
 これまで、東友会の新聞も"忙しくて読まないから"とお断りしていました。こんな時だけ電話するのも申し訳ないのですが、相談にのってもらえないでしょうか。

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