「相談電話のこえ」から

2003年「東友」12月号から

若い人に原爆とか戦争の恐ろしさをわかってほしい。あんな思いをさせたくない

 手紙と電話での相談。長崎・戸石で被爆。当日市内入市。76歳、女性。

 毎日思いますのは、あの忌まわしい長崎での原爆です。原爆投下のとき私がいた戸石村は爆心地から10キロくらいの距離なので被爆者手帳もとれませんが、ピカーと光ったときの熱が熱くて、2時間も畑の芋づるの中に顔をつっこんでいました。
 そして、当日に入った長崎の様子は、とても話すこともできない、ひどい状態でした。
 そのとき受けた放射線が脊髄に入ったのか、老化とともに「冷え」となって出てきているようです。毛布にホカロンを10個も入れて体を温めていますが、どんな病院でも鍼灸でも治りません。そんなことを鍼灸院で話していたら、女性が「それは国が補償せにゃあかん」と言ってくれました。私は、国は補償どころか、原爆症の認定をみんな却下されている、私たちは集団訴訟を起こしていると言いました。
 私たちはいつまでこんなことを続けたらいいのでしょうか。今の若い人に原爆とか、広島・長崎とか、戦争のほんとうの恐ろしさをわかってほしいと思います。
 日本がイラクで戦争をしようとしています。若い人たちに絶対に、あんな思いをさせたくありません。私たちの話を聞いてほしい。どんな無理をしても出かけて、話したいと思っています。

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2003年「東友」10月号から

妹たちのためにも私が元気なうちに手帳を取りたいのです

 女性。10歳のとき、東京から一家で広島の親戚の家に疎開していて被爆。妹二人といっしょに被爆者健康手帳を申請したいと電話での相談。

 72年、当時の疎開先の叔母から東京に住んでいた母に連絡があり、手帳の申請をすすめられたそうです。しかしその時、母は断ったそうです。その後気が変わったらしく叔母に相談。叔母は広島市の担当者に問い合わせてくれたのですが、市の担当者から「広島に住んでいなければダメだ」と強い調子で言われ、それを聞いた母親はあきらめてしまったようです。私たちにはそんな話はしないまま、母は95年に亡くなりました。
 86年に父が亡くなり、納骨をかねて広島に立ち寄った際、当時の遊び仲間だったいとこに被爆者手帳について聞いたのですが、「なかなか難しいようだ」と言われました。
 昨年暮、叔母が亡くなったとき、いとこと話をしている中で叔母が私たちのことを気にかけてくれていたことを聞きました。その後、いとこが広島市に問い合わせて、都庁でも申請が出来ることを知りました。
 被爆当時のことを覚えているのは長女の私だけです。当時8歳だった妹は被爆のショックのために失語症になり幼児性の自閉症にもなりました。その日の記憶はほとんどありません。被爆時1歳だった三女にはまったく記憶はありません。妹たちのためにも私が元気なうちに手帳を取りたいのです。

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2003年「東友」9月号から

原爆症認定申請を却下され納得できない。裁判にも参加したいと思って電話しました

 広島市東観音町1.1キロで被爆。女性。被爆当時20歳。02年9月、悪性黒色腫で原爆症認定を申請。

 東友会ですね。私、Kと申します。広島市役所から原爆症認定申請が却下されたという通知がきました。広島での独り暮らしがたいへんになったので、練馬区に住む孫を頼って上京して、がんセンターで治療を受けていますので、転居しようと思っています。原爆症認定申請を却下されたことが納得できないので、東友会のお力を借りて裁判に参加したいと思って電話をしました。
 私は近距離で被爆したために被爆直後は血便や脱毛で苦しみ、翌年2月に娘を出産したときはたいへんな難産だったうえ、胎内で被爆した娘は3歳まで髪の毛が生えてきませんでした。
 その後も10年間は突然の高熱、下痢が出て、口内や腹部に腫れ物ができ、寝たり起きたりの生活でした。突然、失明したようになったこともありました。
 40歳で総入れ歯になり、53歳のとき脳梗塞で倒れ腕が不自由になりました。そんななかで、去年、ついに私も悪性黒色腫という皮膚ガンにかかりました。県立広島病院の主治医は悪性黒色腫は日本人の場合足の裏にできることがほとんどですが、私の場合左肩にできたので原爆の影響も考えられると書類に書いてくださいました。力を貸してくださいませんか。

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2003年「東友」8月号から

娘は脳腫瘍。私は80歳を過ぎ、妻も75歳。被爆二世の制度やこの先のことを相談したい

 男性、81歳。広島市宇品町で直接被爆。被爆二世の娘のことで相談。

 娘は脳腫瘍です。被爆者の子の医療費制度の相談をしたいのですが。
 被爆のとき私は大きなけがもせず、戦後も調子は特に悪いところはありませんでした。結婚をして娘が無事に生まれた時はほっとしました。娘はとても元気な子どもでしたが小学校5年生になった頃、身体がだるいとか頭が痛いとかよく言うようになり、大きな病院で検査を受けた方がいいといわれ、脳腫瘍が見つかりました。幸い悪性ではなかったのですが、とてもショックで…。原爆が原因なのかとも思いました。私は何ともなく元気なのに子どもに異常がでることなんてあるんでしょうか。
 その後、娘は2度も手術を受けたのですが良くなりません。目が見えにくくなり、耳も聞こえづらくなりました。
 いままでは、私たち夫婦が介護をしながら生活の面倒もみてやれました。医療費もなんとか出してきました。でも私は80歳をすぎ、妻も75歳です。娘は50歳になりました。これから先どうなるか心配です。被爆者の子どもの制度があると聞いて、これから先のことも相談したいと思い電話をしました。

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2003年「東友」7月号から

夫は心臓を手術し障害者、健康管理手当はもらっていますが生活は不安

 女性。12歳の時、広島で被爆。「老人福祉手当を受けられないでしょうか」と電話。

 そうですか、老人福祉手当はもうないんですか。そちらの近くの病院に通っているので、今度相談に行ってもいいでしょうか。
 私は3年前にアルツハイマー性痴呆とお医者さんに言われました。薬を出してもらって進行は止まっています。それでもときどき物忘れがひどい時があって、ゆうべも夜中の3時頃までさがし物をしていました。
 夫は心臓の手術をしていて障害者です。私一人で面倒見ています。健康管理手当はもらっていますが、生活は不安です。介護保険のことは知っていますし、区役所の人も手続きした方がいいと勧めてくれたのですが、お願いしていません。申請すると介護度が出してもらえるそうですが、まだ夫と二人でがんばりたいと思っています。介護度が認定されると甘えて頼ってしまいそうで申請したくないと思っていました。子どもはいないんです。
 いざというときのためには、介護保険は申請しておいた方がいいんでしょうか。でもヘルパーさんとか、知らない人に家に来てもらうのも気が進まないんです。区役所の介護の人にもう一度相談してみますけど。
 11月頃に健康管理手当の更新があります。前のときはY病院のT先生に書いてもらいました。でもいつもは別の病院で診てもらっているので、T先生のところにはいっていません。それでもT先生は書いてくださるんでしょうか。いろいろ不安です。今度うかがいますので、相談にのってください

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2003年「東友」6月号から

被爆二世である夫は脳梗塞で寝たきり。助けてもらえる制度はないのでしょうか

 女性。56歳の被爆者の子の妻。「脳梗塞で寝たきりになり仕事ができない。生活費の援助をお願いします」と東友会への連絡票ハガキに記入があり電話。

 脳梗塞だと、その「被爆者の子」の制度で、医療費の助成が受けられそうですか。制度が使えれば安心してイザという時、病院に行けると思います。申請書を送ってもらえますか。
 夫は49歳のとき脳梗塞をおこして寝たきりになりました。それまでは会計事務所を開いていたんですけど、後遺症で麻痺がひどく文字も書けなくなりました。現在は肢体不自由で身体障害二級の認定を受けています。収入は障害年金が2か月で13万4000円。私のヨガの講師料を合わせて、やっと生活をしています。実はビルを持っているんですが、不動産屋から不況でテナント料を安くするように言われていて、とても生活費にまわりません。それに、夫はまだ毎月、年金1万3300円を支払わなければならず、介護保険料も払うので生活はぎりぎりです。
 健康診断で病院に行くと、精密検査や入院をするようにすすめられるのですが、とても医療費を払えないので病院には行きたくありません。
 本人は糖尿病と高血圧があるうえに、うつ病になり苦しんでいます。できるだけ病院にかからず、ヨガや民間療法で苦しみをやわらげてあげたいと思っています。でも、からだのあちこちが痛いと言いますし、体力も落ちてきています。これから具合が悪くなったとき、何かあれば病院に行かなければならないと思いますが、お金のことを考えると気軽に病院に行くわけにはいきません。子どもはいなくて、他に頼る家族もいません。なんとか助けてもらえる制度はないのでしょうか。

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2003年「東友」5月号から

新しい制度ができたからと聞いて申請したのに、「絵に描いた餅」だ

 長崎被爆体験者(第2種特例受診者)。男性。東京都が「健康診断のしおり」に同封した東友会の案内を見ての電話。

 東京都から、健康診断の案内がきました。去年、長崎の兄から「新しい被爆者の制度ができたから」と奨められて申請したので、どんな制度があるか知りたくて、よくよく読んでみたら、何もないじゃないですか。だって、この程度の健康診断なら会社や区でタダでやってくれるし、ガン検診がないんでしょ。兄は胃潰瘍にかかっているので、「医療費の助成が受けられたけど、被爆者のような手当がない」と話していました。でも東京に住んでいる僕は、医療費の助成すらないんですね。
 申請のときは、証人を立てろとか、直接申請書類をもってこいとか、いろいろ言われ、慣れない面倒な手続きをして、長崎と何度も連絡をとって、やっと受けられたと思ったら、これじゃあ、「絵に描いた餅」ですよ。
 僕は、医療費は無料になると聞いていたんですよ。これは、長崎県や長崎市の制度じゃないでしょ。国の制度でしょ。同じ日本国民を住む場所で差別するような制度って、憲法違反じゃないんですか。

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2003年「東友」4月号から

海外在住でも健康管理手当が受けられるようになりうれしいけれど、更新のための移動費に消えてしまう

  アメリカ・カリフォルニア州在住の女性。長崎市坂本町に入市被爆。当時18歳。年に一度、健康診断を受けるために来日。健康管理手当の申請。

 毎年Y病院に健康診断を受けるために来日していますが、今度から帰国しても健康管理手当が受けられるようになったと聞いて、申請します。いままでは、来日しても家庭の事情で2週間くらいしか日本にいられないので、手当のことはあきらめていました。今回、米国原爆被爆者協会から知らせてもらって、ほんとうに嬉しく思いました。
 でも、この手当の更新には日本に来て、日本のお医者様の診断書をつけて申請しないとダメだと聞いて、少しがっかりしています。一回日本に来たら、旅費と滞在費に、手当の1年分の大半が消えます。それに、腰の具合が悪く、飛行機の中ではとても辛い思いをしています。それでも、原爆の影響が心配なので毎年来日しているけれど、もっと歳をとったり、具合が悪くなったら、とても日本に来ることができなくなると思います。アメリカで被爆者手帳が使えたら、手当の更新ができたら、どんなに良いかと思います。
 友人はいつも来日すると長崎に向かいます。以前、広島や長崎にいくなら旅費が支給されると聞いていたのですが…。旅費がでるのは、被爆者手帳を初めて受けるために、以前に申し込んで広島・長崎にいく場合と、日本の厚生労働省が年間100人に人数制限している渡日治療を受けるときだけだとあなたから聞いて、私たちは母国から見捨てられているように感じています。

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2003年「東友」3月号から

ガンの発症とともに、治癒能力にも被爆の影響を受けていると思う

 広島市千田町3丁目2キロで被爆。男性。被爆当時17歳。3月6日の原爆症認定集団申請に参加。厚生労働大臣への「申述書」から。

 私の家族は、広島市中島本町に住んでいたため、5人が一瞬に焼き殺されました。満州にいた父と広島工業専門学校にいた私だけが生き残ることができました。私は打撲で歩行不能になり、外傷の出血が止まらなかったため、似島に船で移送されました。似島の救護所に収容された重症者の大半は、朝までに死亡しました。歩けるようになった私は翌日、自宅付近で4時間くらい、家族の捜索をしました。周辺は、炭化した遺体が散乱して、足の踏み場もないという悲惨な状況でした。 10日に、伯父とともに、自宅跡を掘り返して遺骨を探し集めて墓に埋葬し、16日頃から自宅跡にバラックを建てて生活しました。 私は、9月から1月まで血性下痢が続きました。倦怠感も長く続き、傷は化膿して、ふさがったのは9月末でした。
 その後は95年に脳梗塞にかかった以外、大病はしませんでしたが、前立腺ガンが発見され、一昨年1月から3ヶ月間放射線治療を受けました。その後、腸からの出血が続き、下血による貧血で一時は血色素が人の半分まで下がりました。昨年11月からステロイドを腸に入れる治療が始まりましたが、2年以上も下血が続いています。主治医は「原爆被爆と放射線治療という二重の被曝が、腸炎を起こしたのではないか」と話しています。ガンの発症とともに、治癒能力にも被爆の影響を受けていると思います。

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2003年「東友」2月号から

被爆二世ですが、子どもに影響はあるのでしょうか

父親が広島に入市被爆。男性。30歳。インターネットのホームページを見て、Eメールでの相談。

 私には結婚を考えている女性がいます。彼女の両親が、私が広島出身ということを聞いて私の親が被爆者手帳をもってないか聞いたそうです。両親の話だと被爆者の子どもには3代ぐらいまで影響があるといっているようです。
 以下が質問です。「3代先まで影響があるものという何かは存在するのでしょうか」「原爆の影響を私が持っているかどうか調査する方法、場所はあるのでしょうか」「被爆二世は、障害者・知的障害者を産みやすいのでしょうか」。
東友会相談員の返事
 「3代先までの影響」の心配はあまりないと思います。しかし、不安は残ると思います。「財団法人放射線影響研究所」のホームページの「放射線と健康」「遺伝的影響」に6項目の調査結果がありますので、ご覧ください。遺伝子レベルの検査を受けられる場所があればいいのですが、私は知りません。
 ただ、結婚とは、男女が互いに信頼し合って、家庭を築くものです。高齢出産でダウン氏症の子どもが生まれやすいとか、いま話題の環境ホルモンとかもあります。そんな中で、被爆者の子どもであるというリスクがどれだけのものか、お二人でよく話し合ってみられたらいかがでしょうか。
 私の知っている被爆者のなかには、被爆二世のお子さんの結婚問題で大変だった、という方が何人もいますが、みんな優秀なお孫さんが生まれています。

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2003年「東友」1月号から

好きこのんで被爆したわけじゃないのに

 女性。長崎市竹ノ久保・長崎兵器1キロで被爆。当時15歳。

 この間また新聞に「原爆症」認定集団申請のことが出てたけど、私のような病気ではまだ仲間に入れないの。あなたの言うとおり、Y病院のT院長先生は、とってもいい先生なんだけど、原爆症認定のことになると悲しそうに、「今の法律ではね」と、おっしゃるの。
 被爆のとき、一緒に工場にいた人で生き残ったのは、作業台の下にもぐりこんだ私だけで幸運と思ったんだけど、その後私の身体はすっかり変わりました。今一番苦しいのは不整脈です。血圧の上が80位しかないのに突然脈が200以上に跳ね上がるんです。苦しくて、苦しくて、救急車で入院することもしばしばです。
 私が「原爆症」にこだわるのは、息子のことがあるからです。私が一番身体の具合の悪いときに産んだ次男が、10ヶ月間お腹の中にいたのに1キログラム位しか体重がなくて、その後10ヶ月も保育器に入っていました。そのためか、生まれつきか知的障害者なんです。
 弟は40歳代で食道ガンの手術を受けて、6年後のいまもリハビリをつづけていますが、被爆した父が血液の病気で死んだ1年前に生まれたので、父の顔を覚えていません。妹も肺ガンで死にました。 それなのに、国は知らんぷりでしょ。私たちは好きこのんで被爆したんじゃないのよ。私たちは、親子、孫3代の人生を原爆で台無しにされているんです。

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